今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

新選組紀行


会津シンパ(笑)の中村彰彦さんの新書。評論とか史論ではなく、新選組の足跡を追った紀行文。この前読んだ村松友視さんの本と似たような感じ。。。


さて、単なる土方歳三好きの作家が書いた紀行文と会津関連の幕末史観を研究、論説している作家の紀行文、どんな違いがあるだろう。


新選組紀行」中村彰彦 著/神長文夫 写真(文春新書)


以下、感想。。。















本作は中村さんが新選組が基盤をなした場所を訪ね、そこの今の様子と当時の状況を重ね、彼らの歩んだ道を追体験する紀行。


今まで読んだ中村彰彦さんの著作の中では、かなり公平でフラットな視点で書かれていると思う。特に会津絡みになると熱を帯びた語りになり、読んでるこっちまで、自分の遠い祖先は保科正之公に仕えていたのではないかと思ってしまうほどのパンチがある(笑)。


浪士組として京に上り(この「上り」表現がそもそも気に入らない…汗。現代では「下り」だし…笑)、会津藩御預かり身分を得たからこそ、京に居残れた新選組


最初は烏合の衆と思われた彼らが、それぞれの剣術の腕の確かさ、強さで京に自分たちの居場所を作っていく。だいたい京の街もその風習も文化も何1つ知らなかったはずの彼らが僅かな時間でその存在を確固たるものにできた時代の流れこそ、あり得なかったのだ。


どちらかと言うと西郷隆盛なんかは、ただ貧乏だったというだけで、一応武士としての身分はあったわけで、成り上がりとは言えない。そこへいくと、土方歳三は違う。近藤勇は近藤家に養子に入った段階で、一応士分となってるわけだから…


いい歳までぶらぶらしていた田舎の農家のヤンチャな兄ちゃんが剣1つで幕末の動乱を成り上がっていく。彼をよく知る家族や知人こそがその姿に1番驚いたんじゃないか…(笑)。


そんなまさかの数年を駆け抜けた男。徹底した現場主義で、実力主義の世界を構築し、自分ではなく「近藤勇」を男にしようと鬼になった男。新選組の舵取り役であった土方の近藤へのこだわりの強さが、時として時流を見失う原因になったのかとさえ思う。


中村彰彦さんはその辺を辛辣に指摘している。誰もが幕府を見限った時代に、それでも、義を重んじるという建前で立ち上がろうとした近藤。それを支えた土方。彼らは一心同体だったのか…近藤の強い思いに土方が付き従ったのか…


本作では、京から江戸へ戻り、甲陽鎮撫隊として甲府で惨敗した辺りまで、近藤と土方はひと括りとして語られている。


本当にそうだったのか…近藤亡き後の土方歳三の軍監としての力量を見るにちょっと違う気もするけど。まぁ、150年も前の話だから…


さらに1つ気になったのは……新選組の足跡を辿り、各地の顕彰碑や墓を紹介しているが、東北方面では特に旧幕府軍への思いが強く、顕彰碑も慰霊塔も旧幕府軍に関した物だけだったり、新政府軍に関するものは掘られた文字が消されていたりと当時の人々の思いが未だに残っていると指摘している。対して、北海道にある旧幕府軍が瓦解した蝦夷戦争についての顕彰碑や慰霊碑は、両軍に対して公平だと…


この考察はどうだろう。当時を考えれば、蝦夷地はある意味、誰にとっても新天地だったわけで、よく言われる地方都市の「因習」が根強く存在したわけではなかったろうし。


それよりも新政府軍の戊辰の役総括のやり方が、今の時代にも大いに禍根を残した原因だと思うけど。最後まで新政府軍と戦い抜いた庄内藩会津藩の扱いの差など、まさにそれだ。そうした扱いの差の大元は会津藩に対する「恨」の強さだろう。結局、感情に流された決断は良い結果を生まない。


それに今のような高度に発達した情報化社会を背景に持たない時代、人々の思いはそう簡単に塗り替えられたりしなかったろう。


淡々と語られる新選組縁の地。取材当時の土地の様子や行き方なども合わせて語られているので、参考になるかも…