今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

明智光秀・秀満 ときハ今あめが下しる五月哉


一部熱狂的な視聴者を得ているらしい今年の大河ドラマ「いだてん」。来年の東京オリンピックを前に、日本のオリンピック参戦の歴史と前回の東京オリンピック開催の顛末を描いているらしい(ほとんど見てないので、よく知らない…汗)。


現代のテーマで描く大河ドラマはどことなくよそいきの雰囲気だが、当のオリンピック年である来年の大河ドラマは「明智光秀」。その最期の壮絶さから大河ドラマで描くのは大変だと言われていた双璧の1人で、片方の石田三成に先んじて登場する。


とにかく、その出自からして謎だらけ(当時としては謎ではなかったろうが、現代まで資料が残されていないという点で謎ということだ)の光秀を少しでも知りたいと手に取った。


明智光秀・秀満 ときハ今あめが下しる五月哉」小和田哲男 著(ミネルヴァ書房)


以下、感想。。。















結局、謎は謎のまんまで解消されることはなかった(汗)。様々な資料を突き合わせて考察している体の本書。著書の考察とは全く正反対の持論を展開している研究者もいるようで、こと光秀に関しては、おおいにフィクションで造形できる部分が残っているようだ。これは大河ドラマの製作側にとって、良いのか悪いのか……


本書の半分くらいまでは、光秀が台頭してくるまでの地域の情勢と光秀が絡む人々の背景で終わる。正直、これほどまでに光秀の資料が乏しいとは思ってもみなかった。


光秀本人の人となりについては、最後の最後、ほんの数ページで終わっている。


織田信長を突然の謀反の末に追い落とし、勢い余って突っ走った結果得たのは自らの転落だったかのような光秀の最期。信長の家臣団にあって、外様であり、年齢的にも既に薹が立っていた光秀には焦りがあったのだろうか。


彼の謀反の顛末は、結局対抗馬だった秀吉に良いように使われてしまった感じがある。だからこそ、歴史は勝者である秀吉の歴史に塗り替えられ、光秀の資料はかき消されたのだろう。


光秀やその娘婿秀満、さらにはその直臣たちの結びつきは、残された資料から推察するしかなく、厳しい状況下でも最後まで光秀に付き従った家臣たちの様子から光秀と家臣団との結びつきが強いものだったことが覗われる。


秀吉家臣団の関ヶ原当時のバラバラぶりと比べれば、長であった光秀の家臣への対応が行き届いていたことの証明になるだろう。


確定的な資料が無い以上、様々な考察を提示した上で進められる当時の光秀を取り巻く状況を読んでいくしかない。


未だに旧家の蔵や縁者の遺品などから歴史資料が発見されるのだ。光秀に関してももう少し何かないものかと期待してしまう。


これだけ、「余地」のある光秀の一生だ。来年の大河ドラマの脚色を楽しみにしている。