今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア


試写会にて鑑賞。


出先から会場に向かったので、既に開場していて、貰ったチラシに目を通す間もなく、何の予備知識も無く、上映開始。


タイトルの印象で、都会とは隔絶された山あいの村で、鹿猟で生計を立てている人たちの日常を描いた映画なのかと思ってた(笑)


あははははは!!!


全然違った。。。「鹿殺し」ってどんな意味なんだろうと上映中、気になって、気になって仕方なかった。


まず冒頭のシーンが結構な生々しさ。しかも長い。そして、こんな始まりで物語はどうやって進んでいくんだろうと不思議になる。結局、冒頭シーンが何を暗示するのかはもう少し話が進んでいくと分かるようにはなるんだけど、敢えて説明はされない。


どうも、主人公は冒頭シーンの手術を執刀した医師で、彼の家庭に起きた不思議な出来事を描いて行くらしいと。。。


医師には、人目に付かないように会っている青年がいる。医師は学生には高価な時計を選んで、プレゼントしており、しかも連絡も無しに勤務先に訪ねてくることを嫌がる…さては、妻の知らぬ不倫相手の息子か?、はたまた前妻と暮らす息子?、まさか、恋人?


想像力逞しく、青年の背景を勘繰るが、これまた、全くハズレ。心臓外科医の主人公が出術中に死なせてしまった患者の息子だった。彼にとっては、高価な時計も密会での励ましも全てはせめてもの罪滅ぼし。


この息子、「ダンケルク」で海へ出た小型船に乗り込んで、亡くなった少年を演じた俳優さんだ。この度の役は何を考えてるのか分からず、とにかく不気味。


その不気味さ、全面押しで、医者の家庭に入り込んでくる。


まるで、彼が何かの災いのウイルスでも持ち込んだかのように、家族に一大事が起きる。


下の子供、息子が原因不明の病に陥り、下半身の自由が効かなくなる。


それに対して、患者の息子は「自分の家族を1人奪ったのだから、先生も家族を1人失わないとならない」と言い、病床にある小さな息子は、今に体の自由が効かなくなり、目から血を流す。目から出血したら、残り時間は少ない。すぐに死んでしまう。息子を助けたいなら、彼に命があるうちに自分以外の家族の誰かを殺さなければならないと。


何言ってんの、こいつ。。。


そうなのだ。これはそういう映画なのだ。追い詰められていく家族。患者の息子の言葉通り、息子の容態は日に日に悪くなる。挙げ句、姉まで同じ症状を見せ始める。子供が2人とも同じ症状に陥ったところで、医師と妻は、事態の恐ろしさに身動きが出来なくなる。


全編通して、不気味な不協和音のような音楽が流れる。それが、今後の、想像できそうもない恐ろしい展開を暗示するようで、ホントに不気味。背筋に冷や汗がスーッと流れていくような冷たい恐怖がやってくる。


結末は、自分で観てねと言うしかないが、得体の知れない恐怖がなかなか拭えない。


日本で言えば、狐憑き的な内容なのかな。いやいや、緊張で疲れました💦


最後に。。。ちょっと調べてみましたら、ギリシャ神話をベースにしたらしく、聖なる鹿を殺してしまった男がその贖罪として、娘を犠牲にするというお話だそうです。途中で、父親のために進んで命を投げ出すと娘が話してる場面があり、物語のベースを知ってたら、もっと理解できるのかもと思いました。 


ただ、最後の選択はあり得ないでしょと思いましたよ。