読み終わって何日も経つのに、未だ釈然としない胸のうち…
私がまだ小学生だった頃、父親と一緒に「東京12チャンネル」のレース中継を見るのが、とても楽しみだった。
ところが、ある時から我が家では、一切レース中継を見ることが無くなった。
その「ある時」をおったルポルタージュ。
「炎上〜1974年富士・史上最大のレース事故」中部博著(文藝春秋)
以下、感想…
もう何年も前に、地方の高速道路で80台近くが次々と玉突き事故を起こした「事件」があった。
記憶も定かではないので、台数は違っているかも…
その時、警察は今までに事故の処理をした。
当時の新聞記事の受け売りだけど…事故は普通、当事者間で処理されるものだという我々の意識を変えさせるものだった。
事故直前、猛スピードで何度も車線変更を繰り返し、車列をすり抜けていった、白いライトバンの写真を公開し、手配した。
猛スピードの強引な追い越しが、玉突き事故を引き起こす原因になった…と。
流れを読まない無理な走行に、危険を感じた他の車が急ブレーキや急ハンドルをきって、玉突き事故を重ねていった。彼らには、悠々と走り去っていくライトバンがどれほど憎らしく感じられただろう。
この時ばかりは、警察あっぱれと思ったものだ。
今回のルポルタージュを読んで、最初に思い出したのが、この事故だった。
ルポルタージュに描かれた富士スピードウェイの事故…発端となった人間は、大事故を引き起こすきっかけとなりながら、死亡事故に直接関与することなく、無事に生きながらえ、一時的にレースの世界から抹殺されるが、「間違ってはいない」という発言を貫き通し、彼の才能を惜しむ人によって、再びレース界に戻った…
その事故の起きたレースに参加し、事故に関わった人々にインタビューを重ね、このルポルタージュは完結している。
当時のレース界の状況やレーサー達の立場なども書き記されているが、事実の羅列に過ぎず、当時の「現状」が分かるだけだ。
インタビューにおいては、それぞれのレーサーの語りをそのまま収録し、その判断を読み手に任せた感じだ。
私は、レース当時小学生。
確かに父親と一緒にこのレースの中継を見た記憶がある。
コース上で次々とクラッシュし、火を吹くレーシングカー…
呆然とテレビを見つめ、「どうしよう」と思ったのを今でも覚えている。
そして、あの日、あの放送があった日が我が家でレース中継を見た最後の日だ。
大人になって、世の中に「F1」のブームが起こり、海外のレースやレーサーにも注目が集まり、テレビ中継の機会が多くなったが、私は、あの事故以来、カーレースの中継は1度も見ていない…
たまたま中継を見た、1人の人間のその後に影響を与え続けた事故なのに…
こんな解決だったのか…と、ルポルタージュを読んで、ガックリしたのは事実。
そして、レーサーの走りには、その「人間性」が現れるのだと痛いほど、感じた。
たった1人に「罪」を償わせたことで、解決をみたこの事故は、それがために余計に重い枷を他の者に与えてしまった。
その枷を外してあげることは出来ないのか…
だって…
「罪」を負わされた方は、そのことで、他者から多くの手を差し伸べられ、未だ「間違ってはいない」と言い続けていられるんだ。
ホントに釈然としない…
良心の呵責なんて言葉、通じないのかな。