お芝居が好きな人が、「劇シネ」の感覚で観たら、大失敗ですよ(^_^;
いっくら、ジュリアス・シーザーとはいえ、この映画は「ジュリアス・シーザー」の舞台が中心のお話ではありません。
タイトルに「塀の中の…」とあるように、塀の中で上演された「ジュリアス・シーザー」…
そして、その舞台に立つのは、塀の中にいる人達(゜o゜;
刑務所の中での、矯正活動の一環で、毎年舞台公演を行っている…
刑務所内の活動だから、当然ながら、参加者は受刑者達。
彼らの罪は様々で、凶悪犯罪の受刑者として、独房に収監されている者もいる。
刑務官のサポートの元で、参加希望者の中から、オーディションで配役を決める。
演出を担当するのも、刑期が長く、公演の経験がある受刑者だ。
重要な役が割り当てられた受刑者達は、当然ながら、練習をする。
世の中同様、刑務所の中にいる男達も様々で、練習中の些細な一言が、言い争いを生んだりするのだが、公演を成功させたいという気持ちは互いに持ってるのだ。
受刑者達の刑期は、みな長い。終身刑の者もいるし、刑期が限られてはいても、1年、2年なんてものじゃない。10年以上の刑を言い渡させれている男達ばかりだ…
だから、彼らの大多数は、毎年舞台公演になんらかの形で携わっているのだろう。
練習中の彼らは、本物の俳優みたい…
映画の中で、実際の舞台公演のシーンは、冒頭とラストにしか流れない。それも、同じシーンだ。
冒頭で、実際の公演のラストシーンを見せ、その後、そこへ至るまでの受刑者達の様々な葛藤やまわりの状況をカメラで追う。
刑務所の廊下や中庭で役者達が、リハーサルを行っているモノクロのシーンは、彼らがこの映画のために集められた俳優なのではないかと勘違いしてしまうほどだ。
たまたま、その刑務所の矯正活動の一環で、たまたま、その刑務所の受刑者達が参加する…そんな、なんの必然もないような集まりによる演劇公演。
塀の中が、まるで現実社会から隔離された異世界のような錯覚すら感じさせられる。
彼らのほとんどは、この刑務所から出ることなく、一生を終える。
現実社会で犯した罪の重さを塀の中で、どんなふうに感じ取っているんだろう。
俳優としての存在感は、驚くほどだ。
ラストで、主要な役どころの受刑者達の名前が大きく映し出される。主要3名は現在の様子も…
1人だけ、減刑され、俳優になっていた。さすがに、その字幕が出ると「おぉ〜」という驚きの声があがっていた。
確かに驚いたけど、役者になっても、なんにもおかしくないほどの力量はあるんじゃないかと…
ドキュメンタリーとして、観れば良いのか、映画として、構成された部分に目をやっていくのか…よく分からなくなってくる。
よく訓練された俳優達をあちこちから集めた上での芝居ではなく、その場にいる人で、一生懸命練習して発表する芝居。
観る側を圧倒するような力強さがあるのは、「塀の中」の彼らだ。
彼らが限られた世界の中でしか、生きられず、その場の状況に大きく左右されながら、限られた時間の中で積み上げた物の「大きさ」に圧倒されるんだろう。
そして、芝居の練習や準備の中で、彼らは何を感じているだろうと気になった。
「後悔」「謝罪」「感謝」「諦め」「希望」…
観て良かった(^_^)v