今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

華麗なるギャッツビー


鑑賞した劇場の都合で、3D吹き替え版を観ました。!!


しかも、1日に1回の上映…


複数回上映してるのは、2D字幕版のみ…


バズ・ラーマン監督お得意の豪華絢爛なシーンを奥行きを持たせて観るなら、3D…という映画評をいくつも目にしたので、吹き替え版は基本的に嫌なんだけど、今回ばかりは仕方なく、そちらを選びました(^_^;


メガネをかけてる人間にあの3Dメガネは結構大変(>.<)メガネの二重かけですよ(゜o゜;)


でも、まぁ、映画のためなら…ね(^_-)


過去に原作は新潮文庫で読み、レッドフォード版映画はビデオで見た記憶が…


そして、昔から、かの村上春樹氏がこの原作を大変お好きだという事も度々記事で目にし、新訳版の翻訳をされた記憶が…


そして、1番は原作を読んだ記憶と映画を見た記憶しかなく、内容はさっぱり覚えていない…つ〜か、何が言いたいのか、よく分からなかったという記憶はしっかりある(・_・;)


そんな映画を世間の評判と最近のレオナルド・ディカプリオの充実ぶりに期待を寄せて、劇場に行っちゃう辺りが、まぁ、私らしいよなぁと…(^-^;)


で、本編…


観て良かったぁ〜(*^。^*)


ディカプリオの哀愁に満ちた後ろ姿、彼はいつからこんなステキになったのだろう。


童顔で、整った顔立ちが何より先に評価の対象になるような青年だったのに…


彼の表情は、毎夜繰り広げられる豪華絢爛なパーティーの華やかさとは対照的に哀しそうで、寂しそうで、どこか満たされてない思いを覗かせる。

舞台設定の核となるギャッツビーが住むお城のような家は、豪華絢爛を通り越して、3D効果も合わさって、より現物に近い圧倒的な力で私の目を眩ませる。


アバター」で初めて目にした現代の劇場用3D映画。あの時、これからの3Dは飛び出すんじゃなくて、奥行きだって、言われてたけど…


アバター」はむしろ、お話の内容からしても、奥行きより飛び出す3Dの方が合ってたのに…って、素人の浅はかな感想を抱いたけれども、今回は「奥行き」で大正解!!


こんな3Dの使い方があるんだなぁと。


ただし、吹き替え版だから、あまり気にはならなかったけど、字幕だったらどうなのかな…字幕が浮いちゃうパターンかな(^_^;


エンドロールの出演者の名前が飛び出してきて、思わず手を出してしまったわ(^^*)


本編と言いながら、お話には触れていませんね…


とにかく、ディカプリオが哀しい、哀しすぎる。この一言で私の感想の全てを表現できそうです。


そして、キャリー・マリガンの演じたギャッツビーの想い人…


キャリーが柔らかく演じたから…いや、演じたというよりもキャリー自身の持つ雰囲気が柔らかいから、観終わった後もギャッツビーの哀しみに心添わせていけるけど、これが、キーラ・ナイトレイだったら、「この女、死ね!!」と思いつく限りの悪態をついてそうです。


キャスティングって大事なんですね。ホントにそれを痛感する映画でした。


ここで、キーラ・ナイトレイの名前を出しちゃって、申し訳ないけど、彼女はこういう役がぴったりと似合う。あの高慢ちきそうな顔立ちがそんな印象を持たせるんだろうなぁ…


キャリーはその点、表情というより、顔立ちが柔らかいから、今回の役は悪に徹しきれないというか、そういうマイナスも出ちゃってる気がした。


なんだか、優柔不断な女って感じの印象になっちゃってる気がする。


もっと憎たらしい方向に振り切っちゃうか、悩んで悩んだ挙げ句の選択なんだという苦しみの方向に振り切るか…キャリーの持つ印象のせいか、どっちつかずで中途半端に感じた。


あの優しい顔で、結局お嬢様育ちの私には「お金」の有る無しは大問題なのよって言い切っちゃうほどのアクの強さが出せたら、完璧だったなぁ…


だって、最低でしょ!!ギャッツビーが無一文になったと聞いて、即、金持ちの男と結婚するんだから


ディカプリオの哀愁と深い愛情に溢れた演技に比べ、キャリーの演技は見劣りがする。柔らかな表情のまま悪女を演じさせるなら、もっと他のキャスティングがあったと思う。何度も名前出して悪いけど、キーラではそういう役は出来ないと思うけど…


まぁ、これは個人の感想なので…(^-^;