今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

レッド・ファミリー


試写会にて鑑賞。


キム・ギドク監督に対する私の勝手なイメージで…


北朝鮮工作員が家族のフリをして、韓国の普通の人々の中に潜入するって聞いて、どんな企みが隠されているのかと(笑)


ところが、本編が始まってみると…


工作員たちは無理矢理家族を装ってるのがバレバレで、しかも軍事的要衝にあるので写真撮影を禁止されている場所にもかかわらず、その場を写真に撮るための口実を作るためにわざわざ事故を起こしたり…


なんだか、やってることがマヌケ(汗)


軍事的要衝って言ったって、現在の民主化された韓国は、日本ほどじゃないだろうけど、わざわざくだらない口実を作らなくたって、調べることは簡単だろうに。


国から教育を受けて、韓国に潜入してるのだろうに、そんなことも分からないのかぁ〜(・_・;)


南側の人々の立場に立って、北側の人々を見てるこの映画の視点は、なんだか北から来た人々をバカにしてない?


工作員になった理由はそれぞれのようだけど、家族のフリをしたことで、祖国に残してきた本当の家族を度々思い出すことになり、いつしか郷愁の思いが工作員としての彼らの心を揺さぶってしまう。


また、任務を帯びたニセ家族を盗聴器で監視してるグループも別にあり、ニセ家族が任務を遂行できなければ、その制裁を加えるグループもある。


なんだか、暇だなぁ…と。


結局、北の人同士で監視し合う本来の目的とは違う方向に行ってしまう。


ニセ家族が自分たちの立場に揺らぎを感じるきっかけになったのは隣家の本音で言い合う姿に触れたことだった。


いつも家族で罵り合いながら、それでもすぐに仲直りして、また揉める。


そんな姿をバカにしていたはずが、彼らが本当に求めていた生活がそこにあると気づいていく。


自分たちが教えこまれた「理想」が絵にかいた餅だったと気づく彼ら。


でも、工作員として仕事をさせたら、非情極まりないし、おそろしく手際も良い。体が覚えてる感覚で人を殺す 。


そのアンバランスさが最後まで納得いかなかったなぁ。


技術は習得できても、それをこなす人間側の心の脆さは、国の厳しい監視下にあっても結局コントロールできない…


そこを言いたかったのかなぁ。


徹してコメディとして描くわけでなく、そうかと言って、問題点をあぶりだすわけでもなく、家族を人質にとられた形で苦境にある工作員たちの哀しさを見せただけ。


人質にとられた形と言っても、韓国に潜入して何年も経ってる工作員がいる。その人たちにとって、手紙の交換もままならない祖国にいる家族は本当に人質としての効力を発揮するのかしら?


無事にいるはずだと信じるしかない。その思いを継続するために、国からの任務を続けるしかない。いったい、彼らは自分が今どこにいて、どんな立場なのか、そんなこと考えないのか、考えないようにしてるのか…


面白いとこもあった。感動するとこもあった。でも、なんか中途半端な印象。


ラスト…


私は死んだ工作員もそう追い込んだ工作員も未来に希望を託したんだな…と思った。


が、しかし、一緒に見た相方は、あのラストを「自分たちを知ってる彼らを殺しに来たんだろ」って‼


え〜〜っ‼‼


元々、妙に人間臭いドラマが展開される傾向にある韓国映画を苦手にしてる彼ならではの感触なんだろうけど…


やっぱり、中途半端な印象が残るから、こんなふうに受け取る人もいるんだなぁと…


まぁ、映画って面白いのはこんなとこだよね?同じものを同じとこで観てるのに、全く逆の捉え方。


最近、邦画が説明臭くてイヤだと感じてるのはこんなところかも。日本人はやたらと説明を求めたがる。感覚的にあぁ良かったって終わることが許されない。


なんで?


って説明を観る側も求めるし、作る側もそれに答えるし…説明が必要になるので、当然セリフは増えるし、尺は長くなる。


それぞれの受け止め方に任せれば良いのにって思うことが多々ある。映画は芸術だと言うなら、なおさら、その感覚を大切にしたい。


それぞれの受け止め方で進めてはいけないことも世の中には沢山あるけど、「芸術」はそれでも良いはず。むしろ、それが全て。


映画の内容より、そんな観る側の感覚に強い衝撃を受けた一作(笑)


あんなに普通の人たちが、工作員としての自覚を持ちつつ、潜入してくる現実が本当にあるのなら、怖いなぁ…


でも、あんなに普通の人たちなら、民主化された世の中の生活に浸かりながら、工作員としての任務を遂行するのは相当ハードルが高いだろう。


だから、このお話は絵空事としか思えない。


こんな現実があるのなら、それは元々鍛えられた人たちが全神経を集中して、普通の人を演じているハズで。つまり、映画とは全く逆の設定になるわけだ。そうなれば、そう簡単にはボロは出さない。


つまり、この映画こそ、ファンタジー