今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ジミー、野を駆ける伝説


ヒュートラ有楽町にて鑑賞。


「薄氷の殺人」と本作とどちらも観たい。でも、2本観る時間は無い。午後に時間差でほぼ同時間帯に上映。


悩んだ挙句、本作を選択。理由は監督がケン・ローチだからo(^o^)o


でも、ちょっと難しかったな。


アイルランドと言えば、「IRA」…そうなりゃ、「マイケル・コリンズ」…


というくらいの知識しかない私には少し事前学習が必要だったなぁ(汗)


イギリスとの関係において、当時のアイルランドの権力者側は共産主義を排除するという名目で、少しばかり目立つ存在の人々をあからさまに弾圧する。


教育は教会が主導するものと決められ、神父は強い発言力を持つ。


何かしら持っている階層と持たざる階層とのギャップ。


自分達の手で、生きる喜びの感じられる「教育」を始める労働者たち。


本作の主人公は、田舎町で労働者として暮らし、自らの楽しさを得ようと生きる青年ジミー。


彼の若さが強い求心力となって、多くの仲間を集め、自分達の手で、自分達の学ぶホールを建設する。


そんなジミーの行動に権力者達は、逮捕という形で鉄槌を下す。


10年という歳月をニューヨークで過ごした彼は、アメリカの息吹と蓄音機を土産に故郷に帰ってくる。


映画の半分くらいまでは、現在のジミーと過去の出来事が生きつ戻りつの展開。少々説明的で眠くなる(笑)


最初は、年老いた母と「静かに暮らす」ために帰国してきた彼だったが、時代の熱とかつての仲間達の熱望に揺り動かされ、再びホールの運営に着手する。


目立つ存在だったために権力者達に付け狙われ、好きだった女性と音信不通になっていたジミー。再び帰ってきた彼に今では2児の母となった女性は心を揺さぶられてしまう。


でも、結局、彼らは現行の制度と闘う道を選択する。今なら、有り得ない。まぁ、感情の赴くままに行動してたら、ただの不倫映画になっちゃうか(笑)


そして、自ら行動することの意味を若い世代の心に焼き付けて、彼は再び捕縛され、国外追放の裁きを受ける。


その後、彼は二度とアイルランドの地を踏むことはなかったらしい。


国をひっくり返すような大それた革命を主導したワケではない。何の希望も持てない田舎町の持たざる者達に、自ら選択し、自ら学び、自ら楽しむ方法を伝えただけだ。


彼を英雄視する若者達も多かっただろうが、彼は自らの信念に基づいて行動しただけで、特別なことなどしたつもりはないだろう。


そんな彼が追い詰められていく。


そんな時代があったのだ。


ジミーがやってきたことが「アカ」と言われることなのだと知った時、少なからずショックを受けた。


えっ、あれが?って。


あの程度がなぜ「アカ」なのか。要は、体制に反抗することが「アカ」と言われて、弾圧される時代だったのだ。ただ、別な方法を示しただけのような気もするが…


名も無き我が街のヒーロー。それが、ジミー。


でも、彼に科せられた処罰は重すぎる。


こんな田舎町でも「戦い」はあり、伝説は語られていくのだと…


まるで、「プロジェクトX」のようだ(笑)


時代背景が分かっていたら、もっと、青年たちの熱のありかを理解できたのに。勿体ないことをしたな。


今の私には、なんであんなに熱く語れるのかピンと来なかった。