今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

アメリカン・スナイパー


公開初日に丸の内ピカデリーにて鑑賞。


さすが、アカデミー賞作品賞にノミネートされているだけあって、客入りもまずまず…


ただし、若い人はあまりいない。アメリカ軍の「伝説」のスナイパーの話だからか、おじさん連れが多く、女性はその奥さんってパターンが多かったように思う。


私はこういう映画好きなんだけど、女性のお1人様や女性連れは少ないのね。


さて、本編。


ずいぶん前から予告編で何度も目にした、ミサイル弾のような物を持ってアメリカ軍の前に飛び出してきた母子を主人公が狙うシーンから始まる。


そして、引き金を引いた瞬間、場面は主人公の子供時代に飛ぶ。


主人公がアメリカ軍の中でも特に精鋭が集まる「シール」に加入し、狙撃訓練でその才能を発揮するまでを淡々と描く。


そして、アメリカにとっての「運命の日」…9.11同時多発テロ


そこをきっかけに彼は4度の応召。国を守るため、仲間を守るために160人以上を狙撃。「伝説」と呼ばれるまでに…


しかし、戦況の悪化と共に、シールの仲間たちが1人、また1人戦場を離れていく。生きて帰れることがまるで奇跡でもあるかのような状況に兵士たちは次々と心を蝕まれていく。


それは「伝説」と呼ばれたスナイパーでも同じだった。


敵に包囲された地での作戦で、彼は次々と仲間の命を奪ってきた敵のスナイパーを発見するが、それは2km近く離れた場所だ。


主人公はそのスナイパーを砂嵐の前触れとなる強風の中で仕留めるのだが、それがきっかけになって、彼らは一斉に敵の銃撃を受ける。その中で、彼は自分の心の危機を自覚する。


除隊後の彼は、自分の心を蝕んだ物と向き合い、多くの退役軍人の支えとなっていく。厳しい現場にいた彼だからこそ出来ること。そんな彼に訪れるその時。正直、終映後すぐには席を立てない。


主人公の生き様を淡々と追う話だ。監督のクリント・イーストウッドの作品にはこういう作風が多いよね?


そして、エンドロールに入って、一切の音が消える。


いろんな映画を観たけれど、エンドロールが無音のまま、字面だけを観続けたのは初めてだ。それが、なにも違和感が無いのが不思議な感じだった。


スナイパーとして「伝説」の人ではあるけれど、退役後の活動がまた評価されているだろう。アメリカって、すごいなぁ…


こんな人がいるんだ…って。


本国アメリカでも、公開後に口コミで徐々に公開スクリーンが増え、いまや記録的大ヒットだそうだ。


「ハートロッカー」の時と同じような反応だな。そんなことを感じた。