今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

あの日の声を探して

シャンテにて観賞。


監督はあの「アーティスト」の人だそうだ。全く毛色の違う作品だけど、芯のある作品を作る監督なんだなぁ〜と。


「アーティスト」のヒロインを演じた女優さんがこの作品で主人公を。彼女は欧州人権〇〇委員会のメンバーで、紛争状態の地域に分け行って、民間人の救済について、世界に情報発信する立場にある。


現場の声を聞き取り、世界の国々に発信するのが仕事とはいえ、彼女のレポートには発表の機会さえ与えられない。


そんな無関心が、世界のあちこちで起きている民族紛争を野放しにしていると監督はこの映画を通して強く訴えたかったのだろうか。


主人公が調査のために故郷を離れて暮らしているのは、チェチェン国境近くの街。一度治まった紛争が再び火を噴いた第二期チェチェン紛争を難民として命からがらチェチェンの村や町から逃げてきた住民たちに面会し、その実態の証言を聞き取っている。


彼女が連携を取っている赤十字出先機関では、すでに手に負えないほど人々を迎え入れ、子供や怪我人しか対応できない。


そんなギリギリの状態さえ、世界の中では話題にのぼらない。


仕事の限界に悩む主人公の前に1人の少年が現れる。彼は崩れた町を1人ぼんやりと歩いている。


彼がここに辿り着くまでの辛く悲しい出来事が淡々とスクリーンに流れていく。目の前で無惨にも殺された両親。助けようと飛び出したまま行方が分からない姉。ただ泣くだけの乳飲み子である弟。


両親の命を奪ったロシア兵が立ち去った後、村には誰も残っていなかった。少年は意を決して、バックパック1つ背負い、小さな弟を抱き、家を出る。


9歳の少年の命の危険と背中合わせの当ての無い旅立ち。


途中、幼い弟と逃げることに限界を感じ、彼は同じ言葉を話す家族の家に弟を置いて再び歩き始める。


途中、赤十字の責任者の女性が、両親が殺された子供たちの絶望的な行く末を語る時、過酷な状況も乗り越える子供たちがたまにいると呟く。危険な状況を生き抜く頭の良さとズルさを持ち、運が良いことだと。


最終的に運の良さで生き残るしかない現実が悲しい。


家族を失った悲しみから、言葉が出なくなっていた少年は主人公と出会い、彼女と暮らすことで、言葉を、笑顔を少しずつ取り戻す。


赤十字の責任者から、上っ面だけの正義感で少年を保護したと責められた主人公は、少年との生活から力を得て、大きな決断をする。


その決断が、大きな運を呼び込んだとしか思えないけど、少年は死んだと思っていた姉に出会い、彼女の腕の中で眠る弟にも再会する。


少年が出会った人々はみな彼の境遇を理解し、みなが温かく彼を支えた。それが運だと言われればそれまでだけど、出会った人々の少しの良心で彼は守られたのだ。


対極として、ロシア新兵の少年が登場する。彼は19歳。未成年でありながら、喫煙していたことを警察に見つかり、強制徴兵され、チェチェン紛争に送り込まれる。


ただ、普通に町で暮らしていた少年が、上官や先輩兵士のイジメやいびりで、狂気の世界で生きていく方法を身につけていく。わずかな間に彼は前線に送り込まれても耐えうるだけの狂気を…


なぜ、このロシア新兵のエピソードが盛り込まれているのか。それが、ラストで明かされる。


まるで接点の無かった2つの世界が接するのは、まさに生き地獄のような世界だった。


最後は、あのチェチェンの子供たちが健やかに成長することを祈るしかない。復讐の連鎖の無い世界で。そして、その連鎖を食い止めるのは、無関心でいる我々が立ち上がるしかないと痛切に皮肉られているように思う。