今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ルック・オブ・サイレンス


早稲田大学・小野梓記念館内の小野記念講堂を会場に開かれたパネルディスカッション付き試写会に参加。


会場は早稲田大学構内なのに、パネルディスカッションの進行は慶応大学の教授のおばさんとその生徒と思しき気取ったお嬢さん風の慶大女生徒が2人。


メインのパネリストは、本作の監督ジョシュア・オッペンハイマー氏と、本作内で進行役となったアディ氏。アディ氏においては、特別ゲストとしてインドネシアから招待したらしい。


この2人の映画への取り組みと衝撃的な内容の本作を巡るインドネシア国内の反応などオッペンハイマー氏とアディ氏のお話を聞くことがメインであるこのパネルディスカッション。


なんだか、声の通らない進行役の教授のおばさんは普段の授業もこんな蚊の鳴くような声でやってるのかと腹が立った。そして、なにより慶応の女の子がもうねぇ。


既に進行役が問うた質問と似たような解答が帰ってくると誰もが想像がつくような質問を恥ずかしげもなく堂々と胸をはって発言する姿を見た時、唖然とするしかなかった。


この人達、いらなかったな。


時間のムダ。もっと、計画をしっかりと立て、登壇者に負担をかけない進行で、より2人の「声」を聞ける時間にしてほしかった。


進行役のおばさんは、インドネシアの政治状況などを含め、第一人者らしいのね。とても、そんな感じに見えなかった。学生さんもインドネシアのことを学んでるらしいんだけど、質問の内容が…


慶応だから、頭良いのにね。まぁ、頭は良いんだろうが、なんだろう。なんか違うんだよなぁ…


まぁ、いっかぁ〜


さて、本編。本作は「アクト・オブ・キリング」という映画と対をなす作品で、その内容は50年前にインドネシアで起きた共産党員大虐殺の真実を追うもの。


前作は、その大虐殺の加害者側に当時の状況をインタビューする形で進んで行くらしい。


本作の中でも、そのシーンが何度が登場する。


加害者たちは、当時の政治状況の中で正当化された虐殺行為を恥じる気持ちなどさらさら無く、むしろ、国のために大いに貢献したと信じて疑わないでいる。


恐ろしいことに、それらの虐殺行為を絵に書いたり、本にまとめて、ひけらかす者までいる。


そんな彼らと生活圏を共にする被害者遺族。


真実がどこにあるのか一切語られないまま、蓋をされたような過去の出来事。それらは彼らの生活にも大きな影を落としている。


互いに同じ町に住む加害者と被害者は、その過去の出来事を触れてはいけないものとして、ただじっと生きている。


誰も真実を見ようとはしない。


そんな中に一石を投じた形となった前作から、さらに一歩進んで、加害者と被害者の「対面」がスクリーンに流されていく。


恐ろしいほどの緊張感。


必死で正当性を訴える加害者に、兄を虐殺されたアディ氏はただ会いにいく。


アディ氏からの復讐に怯える加害者。彼にそんなつもりは毛頭ない。もう既に時は経ちすぎている。


謝罪をされれば、彼は受け入れる用意がある。それでも、彼を加害者の元に向かわせたのは、残された時間の少なさを思い知らされたため、さらに未来の子供達への負の遺産を残さないためだ。


アディ氏の勇気。たった1人の勇気が大きく世の中に波を起こしたのだ。


チラシをよく見ると、オッペンハイマー氏と共同監督として参加している監督がいる。しかし、その人物は名前を明かしていない。「匿名」で参加しているのだ。


秘密裏に行われた国家的な大虐殺事件。その後も多くを語ろうとしなかったインドネシア政府。そうした政治状況にあって、その事件の「真実」を求めるために国内で名前を出して行動することがいかに危険なことなのか窺い知れる。


実際に監督始め、アディ氏にも映画の公開を控えるよう脅迫もあったようだ。


オッペンハイマー氏は、身の危険を感じれば母国へ戻れば良い。しかし、アディ氏は違う。代々語り継がれた虐殺事件の嘘をその現場において暴いていく作業に、今の生活基盤をそのままに手を貸しているのだ。


どれほどの勇気が必要だったろうか。


パネルディスカッションで彼は言った。時間が経ちすぎていると。


映画では彼の父親がボケてしまい、自分が誰なのかも分からなくなった姿が映し出された。その映像はアディ氏自身が監督に家族や事件に関わる資料として提出したものらしい。


大切な息子を失った悲しみ。母親はアディ氏にその時の様子をこと細かく語って聞かせたのだそうだ。ところが、父親はただの1度も兄の話をしたことが無かったという。


大きな喪失感と憤怒を彼は自分の中に閉じ込め、加害者の住む町で家族を必死で守ってきたのだ。


その彼が全ての思いを語る術を失ってしまったのだ。そんな姿を見て、アディ氏は決意したのだという。


今しかないのだと。今、互いの真実を語り、互いに向き合える関係を築かなければ、未来を生きる子供達にまでその禍根を残すことになると。


そうした決意を持って、2人がこの映画の撮影に望んだことを本人の口から聞けて、とても感激した。


それと共に2人の勇気に素直に頭を下げようと思った。


この悲壮なまでの決意の前で、勉強していると言いながら、ありきたりの質問しか出来ないパネラーなどいらないと言われても仕方ないでしょ?


この虐殺事件のことを「9.30事件」というそうです。詳しくは検索してください。多少の予備知識を得ることで、その時代背景を理解しておくことが出来ます。


ただし、映画の内容に関しては前作を観ていなくても、十分に理解できます。


なにしろ、国内においても、それどころか実際に虐殺する側だった者たちの家族さえ、自分の親がしたこと、事件の真実を知らないのだから。被害者の側も生きるために死ぬ思いで口を閉ざし、残された家族を守ってきたのだから…


それぞれが真実を知るためのスタートライン立ったような状況だ。


こうして当自国でさえ、歴史に埋もれてしまう真実。なんの偏りも無い私達の方がすんなりとその事実を飲み込めるかもしれない。映画って凄いです。そして、それにチャレンジする人ってもっと凄い。是非、ご覧あれ。