今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

奇跡のひと マリーとマルグリット


ずっと公開を楽しみにしていたもう1つのヘレン・ケラー物語。


田園風景の中に佇む修道院。静かに時が流れるその修道院に髪はボサボサで汚れた服に素足の少女がやって来る。


聾唖の人々ばかりが集まって静かに祈りを捧げるその修道院を遠くから訪ねてきたのは、その少女が聾唖なだけでなく、盲目だったからだ。


父親にしがみつく少女。慣れない環境に敏感に反応する少女は木に登ったまま降りてこない。


彼女の姿になぜか目を奪われる1人の修道女マルグリットは、聾唖の人々の世話をする側であり、健常者だ。


しかし、院長は聾唖者の世話でさえ、大変な中でさらに障がいのある少女をどうやって面倒見るのかとマルグリットにきっぱりと言い渡し、多重障がいの少女マリーの受け入れを拒否する。


愛情を持って接する両親でさえ、耐えきれない日常をどのようにサポートしていくのか、マルグリットは自分が何か出来ないかと悩む。


生来体の弱いマルグリットには重い決断だったが、彼女の熱意は院長のかたくなな心も動かし、遠くマルグリットを迎に行く。


その日からマリーとマルグリットの「闘い」が始まる。


何も見えず、何も聞こえないマリーの世界。手ざわりによる感触と匂いだけで物事を捉えていく。そこにコミュニケーションの接点があるのか。


マルグリットはそれこそ何も知らない動物を手懐けていくかのごとく、体当たりでマリーと時間を共にしていく。


まずは手話を手で触れさせて、言葉を覚えさせていく。


だが、マリーは何1つ覚えようとはせず、マルグリットの必死さはまわりの修道女たちにも理解されない。


孤独な闘いだ。何度となく挫折を味わい、回り道をし、やり直しを繰り返す。彼女に手話を教えた聾唖の修道女だけが友人として支えてなってくれる。


同じような障がいを抱えながらも、少女たちは特にマリーを気遣うワケでもなく、中には奇異な目で見て、彼女に無用なからかいをする者もいる。


子どもの世界ってどこでも残酷だ。でも、その中で強くなっていくのも事実。


マリーがブランコを体験しているところにわざわざやって来て、マリーが使っているから乗れないと文句を言う少女。しかし、マリーがブランコの乗り方を自身の体で体得したのを目の当たりにし、彼女たちは手を上げて喜ぶ。


聾唖の少女たちにとっても、マリーとの出会いは自分たちが守られるばかりでなく、守る側に立てることを教えていく。


何1つ目に見えた進歩の無いマリー。日常の食事などは無作法ながらも生きていく手段としてこなしてはいるが、髪をとくこと、体を洗うことなどは恐ろしいほどの拒否反応だ。


マルグリットが諦めてしまえば、そこで終わりだ。先の見えない毎日に何を希望として進むのか。マルグリットのこの執念とも言える思いにとうとうマリーは根負けし、言われたままに髪をとき、風呂に浸かる。


綺麗に洗った修道服に身を包んだマリー。体を清潔に保つことの気持ち良さを学んだ瞬間だ。


1つ1つが大変な闘いだ。


そして、マルグリットにぴったり寄り添って、院内を歩けるようになったマリー。彼女は寒い日に空から落ちてくる冷たい物に触れる。雪を初めて感じる彼女の笑顔を見た時、涙が出た。


もうそこからは、全てが涙。


生活の習慣を1つ1つ積み重ねていくマリーだが、言葉だけはなかなか覚えようとしない。彼女自身がコミュニケーション・ツールとしての「言葉」を認識するまで時間がかかったのだろう。


「言葉」を介在しない世界で生きてきたマリーには、おそらくその意味するところが分からなかったのではないか。


健常者の目線で言葉を通じてコミュニケーションが出来ればと思ってみても、果たしてその認識がマリーにあるのか。


そこをただひたすら、マルグリットは愚直に教えていく。


マリーが何より好きな折りたたみナイフ(食事用のもの)を「ナイフ」という言葉とともに認識させる。


「ナイフ」の手話を何度も何度もマリーに教えていく。マルグリット自身が手話で示し、その手話をマリーに触らせる。


匂いと感触で物を認識していくマリーに手話での言葉をその手に覚えさせていく。


何度も何度も教え続け、ぼんやりとしていたマルグリットの横で、マリーは「ナイフ」の手話をしてみせる。


大きな山を越えた。1つの言葉を覚え、その手話によって、同じ物の認識を他者と共有出来ることを知ったマリーは次々と新たな言葉を覚え、さらに新しい言葉を求めていく。


諦めていた院長も目を見張るマリーの成長ぶり。ところが、皮肉にもマリーの成長を1番に喜ぶべきマルグリットの体には限界が近づいていた。


自分の死をどうやってマリーに伝えるのか。


1人のシスターが死んだ。マルグリットはマリーに「死」の意味を教えていく。


そう遠くないいつか、自分も死地に旅立つことを覚悟して。


マリーは何も言わずに入院したマルグリットを探し求める。それこそ、狂ったように。


最期を覚悟してマリーの元に戻るマルグリットだが、マリーの前に自分の最期の姿を見せることに勇気が出ない。


院長は言う。もうマリーはちゃんと準備が出来ていると…


マルグリットが支えてきただけではないのだ。彼女自身もマリーに支えられ、生きてきたのだ。むしろ、マリーがいたからこそ、マルグリットは生来の虚弱な体を生きながらえる事が出来たのだ。


もう、涙なくして観られません。


マルグリットの死後、自分も1人の人間として、同じ立場の人を助けるために生きていくと決意し、天のマルグリットに伝えるマリー。


なんと崇高な2人の絆。


心震える時間をこの映画で。