今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

追憶と、踊りながら


久しぶりに行った新宿武蔵野館。なんと、全席指定でネット予約可能になっていた〜‼


というわけで、開場前のあの殺気立った雰囲気も幾分(あくまで、幾分…)緩和されていた(笑)


観終わって、なんで観たいと思ったのかよく分からなくなった(汗)


簡単な映画紹介のあらすじを読んで、興味をひかれたのは間違いないと思うんだが…


主人公は老人施設に入居しているおばあちゃん。彼女には一人息子がいる。


ホントは一緒に住みたいけれど、息子の家には同居人が居て、母親と一緒に住むには手狭だ。


だから、息子が母親のためにと施設に入居させた。


ということらしい…


母親と息子は中国語で話す。カンボジア系中国人の母にとって、イギリスはずっと異国のままだ。夫の言葉に従って故郷を離れたが、全てにおいて行き届いた「異国」は夫の生活を狂わせた。


夫と息子は新しい国の生活に馴染んだが、自分は買い物1つ1人で出来ない状態のまま年を重ねていった。


それに後悔もなく、むしろ煩わしい関係に悩むこともなく、生きていると自負してきた。


でも、たった1人の息子と離れたことで、家族への繋がりを求める気持ちがより強くなっていった彼女は自分の言葉が息子を縛り付けていたことに気づかない。


そんな時に突然訪れる別れ。


最初、母と欧米人の顔をした息子の軽快なやり取りを観てた時はそのままを受け取っていたが、それは母親の妄想でしかなかった。そこに息子の姿は無かった。


息子がどうやら母を招待したディナーの日に迎えに来る途中で事故にあい、亡くなったのだと分かった時から、息子と交代したかのように訪ねて来るようになる息子と同じ年の頃の青年。


彼は息子の同居人。母にとっては、息子との同居を邪魔していた仇のような人間。


母と彼は、言葉が通じない。初対面の間柄で、母にとっては仇のような人物なのだから、現実の言葉を離れた意思の疎通もあったものではない。


母親の断固拒否の姿勢にも彼は屈しない。通訳してくれる女性を頼み、悩みながらも一歩一歩近づこうと努力していく。


言葉が通じない異世界の人。まるで、手探りで進む毎日。諦めようかと挫折感に苛まれながらも、彼が何度も母親にコンタクトをとるのは、真実の息子の姿を伝えなければと思ったからなんだろうか。


異国で孤独を感じながら生きてきた母親にとって、子供しか頼りになるものはなく、その子が自分よりも大切にしている人や時間があったことを知らされることは裏切りに等しい印象があるのかもしれない。


どちらも捨てられない息子にとって、母の強い訴えは苦しく、どんどんと追い詰められていく。


そうした、お互いを思いやるからこそ起こる事態を淡々と描いていく。


大切なものを失った哀しみ。それによって増した孤独感。それを埋めるものを持ち合わせていない人たち。


互いに失ったものの大きさに打ちのめされている2人が、ただ愛した人のそばにいたかっただけだとそれだけのことを伝え合うのに大きな遠回りをしながら歩み寄っていく姿を静かに見守る映画だ。


それぞれのお国柄も反映してるのかなぁ。


中国人の母親は、押しが強いし、偉そうだし。イギリス人の息子の友人は、何事も開けているが、頑固だ。


尺は90分弱で短いけれど、なんだか疲れる映画だった(汗)