お話の舞台となるポーランドの田園風景が素晴らしい。
ここが戦場になるなんて痛ましい。
つましく、毎日を精一杯暮らす人々がいる日常が踏みつけられていく現実。
戦時下で「ユダヤ人」というだけで迫害を受けた少年の生きるための「嘘」とそれを受け入れた人々との物語。
少年の賢さはゲットーを逃げ出したところからもよく分かる。黙っていれば、見逃してくれると言う荷馬車の男の言う通りに荷台に身を沈める。
彼の目にはナチのトラックに収容される母親も映るが…
ゲットーのゲートをくぐり抜けた彼は森で生きる少年たちに出会い、日々の糧を得る。
親と離れても生きる術を彼らから学び、1人になっても前進を続ける。
真冬の吹雪の中で、息も絶え絶えたどり着いた家は、夫と息子がパルチザンに身を捧げた妻が1人暮らしていた。
ナチへ対抗する思いが彼女を動かしていく。雪に閉ざされた冬の間にポーランド人として生きていくための方便を少年に伝えていく。
穏やかな顔立ちと愛らしさで人々の警戒心を悠々と飛び越えていく少年の持つ逞しさに彼女は賭ける。
そして、家のまわりに不審な足跡を見つけた彼女は、希望のない我が家から少年を旅立たせる。どうしても、行く当てが無くなったら、戻って来いと…
ポーランド風の名前に替えた少年は、ひたすら歩き続け、まだ戦火の及ばない農場を訪ねては、食事と寝床を求め、その代償として大人に混じって働いていく。
彼の利発さと勇気に触れ、ユダヤ人であることに気づきながらも素知らぬ顔で接してくれる人々。
もちろん、相手にもしない人々の方が遥かに多いけれど、僅かな安らぎの時を得て、彼は生き続ける。
「生きろ」と言った父の言葉。過酷な現実を生きる中で、彼は自分の本当の生い立ちさえ、思い出せなくなってしまう。
農場で起きた事故で、腕に大怪我をしながらもユダヤ人の疑いをかけられ、手術もされず放置される。そして、手遅れとなり、彼は片腕を無くし、生死の境をさ迷うことに。
彼の勇気と賢さに、手を差し伸べてくれた人々もみな余裕がある訳ではない。日々を生きるのに精一杯だ。そんな中でも危険を犯して彼を逃がす道を探してくれた善意に、彼は生かされていく。
長い逃避生活の中で教会で洗礼をうけて、ポーランド人の社会に受け入れられていく少年。
そして、長い逃避生活に終わりが来る。終戦を迎え、少年を追う者がいなくなった。
だが、それは彼にまた別の道を思い出させることになる。
実際に事故にあい、腕を失う不幸に見舞われた少年がどのようにして戦火を生き延びたのか、実話の映画化だから、現在の彼の姿もしっかりと描きたかったのだろう。
ユダヤ人ゆえに受けた迫害とユダヤ人ゆえに得た戦後の幸せを対比したつもりなのか。しかし、ラストでの現在の彼の姿と言葉はどうもこの映画に合わない気がする。
作り手たちには伝えたい事だったのかもしれないが…ユダヤ人の孤児を施設に送り届ける役人が登場し、彼の車に乗った少年が分岐点で施設への道を選んだことで十分だ。
彼は、他の全ては忘れ去っても「ユダヤ人」であることだけは忘れてはいけないという父の教えを、そして、少年を守るために父がとった最後の手段も思い出したのだから。
私はひねくれてるせいか、あのラストはどんな意図があるのかと勘ぐってしまう。そのためになんとも後味が悪い映画だった。