今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

海難1890


試写にて鑑賞。


邦画をまず自分から観ることがほとんど無い私。今年は試写会に当選したものしか邦画は観てないんじゃなかろうか(汗)


東山紀之さんの時代劇でもないと観ないかも(笑)今年はちょっと観たいなぁと思う物あったけど、結局自ら劇場に足を運んだことが無かった…


貴重な邦画の感想です。


さて、映画の題材になってるのは、100年以上前の「エルトゥールル号」の座礁事故とイラン・イラク戦争サダム・フセインによりイラン上空を飛ぶ航空機は全て撃墜するという通達がなされた時、実際に救援機をトルコが用意してくれたというお話。


当時、なんでトルコが助けてくれるんだろうと思った人も多かったよね?


エルトゥールル号のお返し」ってことがしばらく経ってからマスコミなどで取り上げられて、100年近く前のことを今でも忘れずに伝え継ぐトルコという国に圧倒された人も多かったでしょ?


もちろん、私もその1人。ただ、エルトゥールル号の事故については、あの救援機を飛ばしてくれる前から知ってたのだ。


物知りのクラスメートがいてね。「エルトゥールル号の奇跡」を語り継ぎ、日本に対して感謝の思いを子孫に伝え聞かせている人々がいる。恩義を感じるっていうのは日本人だけじゃないんだって、なんかやたら力説してたんだよねぇ…


おかげで、命懸けでトルコが助けてくれた時にこれはトルコだからこそなんだと妙に納得して、なんと心厚い人たちなんだろうと感謝したものだ。


それらの実話がベースになってるこの映画。ちょっと、前半の方はテンポが悪いっていうか、なんか間延びしてる感じがあって、そこが残念だった。


ただし、お話はもう泣かせます。エルトゥールル号が帰路につき、横浜を出航した後台風に遭遇し、座礁してしまうのだが、その辺りからはもう泣けて、泣けて仕方なかった。


現代のトルコ航空の救援の話がラストに用意され、トルコの人々の心に灯る日本への友情が日本人を救出してくれたところまで描かれているので、ラストにかけて急に駆け足になっていく感じで、泣けるんだけど、ちょっと大変(汗)


こういう歴史を語り伝えるのに映画は大きな力を発揮する。


しかも、エルトゥールル号の事故だけじゃなく、テヘランからの日本人救出の決定がその事故と大いに関係しているエピソードも盛り込まれていて、全体像が分かるし、ホント、映画って凄いよ‼


という感動と、観終わった後、自宅に向かう途中でツラツラ思ったんだけれども…


滅多に無いことながら、前日と2日続きの試写会。前日には「消えた声が、その名を呼ぶ」を観た。両作品ともオスマン帝国を描いている。


「海難」のエルトゥールル号の事故は1890年、「消えた声…」はおよそ20数年後の第一次世界大戦の頃。


広大な地域を擁したオスマン帝国の繁栄に翳りが差し、ヨーロッパ列強との関係が変化し、悪化していった時代らしいことが映画を観ると分かる。


ヨーロッパで国の影響力が低下しつつあるオスマン帝国にとって、極東の国・日本への航海は大きな賭けであり、新たな道を開くものだったはず。


その航海を生きて本国に戻った人々もまだ「消えた声…」の時代にはきっとトルコにはいただろう。国の主流の側を生きる民族として。


少数派だったアルメニア人虐殺を行った為政者側のトルコ人として。けして、手を下したという意味ではないよ。


エルトゥールル号の乗組員たちは異国で言葉の通じない人々に真心からの善意を受け、国に伝えた。そういう現実がある一方で、国を取り巻く時代の変化の中で、自分たちとは異なる人々を排斥しようという国の流れが発生してくる。


国の中に多くの民族が暮らす現実が私には十分に理解出来ないが、いろいろ考えてしまった。


100年前の出来事を語り継ぎ、次世代にその恩義を返そうとする人々の暮らす国。


今度は私たちが語り継がないといけないんだよね。エルトゥールル号の事故を教科書に載せたトルコのように、今の日本の教科書にあの時の脱出のエピソードは載ってるのだろうか。