今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

白鯨との闘い

レディース・デーなんだけど、女性の姿は私の他はもう1人。しかも場内には10人くらいしかいない。


もったいない。面白いのに〜


タイトルだけは知ってる小説「白鯨」。その著者が小説を書くにあたって、捕鯨船の遭難事故で当時最年少だった乗組員の男性に取材している過程が映画化されている。


大海原で巨大な白鯨との闘いに端を発した遭難・漂流の過酷な様子は、彼の回想として描かれている。


当時の捕鯨は人の生活に大きな影響があった。捕鯨船が港に持ち帰る鯨油は人の生活に欠かせない燃料だ。


船倉を鯨油樽で埋め尽くすまで鯨を追って海を行く。途中、鯨以外にも難題は多い。嵐の直撃を受け、帰港を余儀なくされることも少なくない。


よそ者で良家の出でないことで、船長になれなかった一等航海士のチェイスは、経験の乏しい良い家柄の坊ちゃん船長の無理な命令も冷静に受け止めながら、過酷な旅を続ける。


しかし、大嵐や見たこともない巨大な白鯨と遭遇し、航海が長くなるにつけ、捕鯨船の扱いにその力量の差がはっきりと出てくる。


途中、寄港した時に出会った別の捕鯨船の船長から鯨の集まる海域を教えられた彼らはさらに遠くまで船を走らせる。


そこで、出会った巨大な白鯨。その鯨は意思を持っているかのように捕鯨ボートではなく、本船に体当たりを繰り返す。まるで、モリを打たれた仲間の復讐かのように。


修復不可能なほどの損傷を受けた彼らはボートに食料や水を積み込み、沈没寸前の本船を離れる。


ここからが本筋というか…ガラリと話の趣が変わってくる。陸から遠く離れた大海原でボートに身を寄せる乗組員たちの漂流が始まる。風まかせの旅だ。行けども、行けども目的地が見えない。


食料も底をつき、漂うだけのボート。そうした極限状態の中で、乗組員たちは究極の選択を迫られていく。


風まかせの航行をする彼らは3つのボートに分乗している。波間を漂う彼らには強い太陽の光が照りつけ、体の水分を奪い、立ち上がる体力さえ奪い取っていく。


白鯨との激烈な闘いでモリを打ち込んだチェイスでさえも、幻想を見るほどの過酷さ。


そうした過程を自分の言葉で語る最年少だった乗組員。


奇跡の生還を果たした乗組員は数人のようだ。帰港直後に捕鯨船の大破と予定した鯨油樽が確保出来なかったことが審問にかけられた。


非常に過酷な状況下で同じ時間を共にしたチェイスと船長に、船主たちは保険の請求や捕鯨の未来を守るために船は座礁したことにしろと、死んだ乗組員たちもその事故で死んだことにしろと要求する。


船主寄りの名家出身の船長であったが、審問の席ではチェイスが語ったままの真実を証言する。彼はこの航海で本物の船長になったようだ。


前半は鯨を追いかけて仕留めるまでの航海の荒々しい様子が、後半は漂流するなか、小さなボートの中で命を繋ぐために行われた様々なことが描かれており、その合間に小説家と生還した乗組員の語り合う姿が挟まれる。


白鯨を巡る冒険と乗組員たちの間に築かれていく信頼関係。単に白鯨との闘いを描くのかと思っていたので、こんな人間ドラマだとは思わなかった。


航海中、特に漂流中の出来事がずっと心に影を落としていた乗組員は、小説家との語らいの中でそれについて初めて口にする。そこで、彼は救われる。


小説「白鯨」を読んでみたくなった。全てを語った乗組員は心に仕舞い込んでいたことを口にしたことで気持ちの整理がついたが…彼は問う。なぜ彼らが生還できたのかまで全て書くのかと。対して小説家は、自分は小説を書くのだと答える。小説に何を書くかは小説家次第なのだと。


終映後、高校生男子が「面白かったぁ」と言ってた。私もそれに1票。ただ、賛同しない仲間もいたようだけれど(^◇^;)


海洋物がお好きな方にはオススメ。


迫力ある捕鯨の様子や漂流中の人間模様などその航海を通しで描いてるので、広く浅く感は多少あるけど、海の男たちの生き様を知るドラマとしてとらえると良い感じじゃないかと。