今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ヴィオレット ある作家の肖像


岩波ホールでの上映作品。2月中旬までの上映なので、そろそろ客入りも落ち着いてくる頃かと思い、神保町へ。


ボーヴォワールと同時期の女性作家の素顔を追う映画。まず、ボーヴォワールの作品が分からない私(•́ε•̀;ก)💦


当時のフランスは小説の内容について検閲があったらしく、作家として立場を確立しつつあったボーヴォワールが強く推薦した女性作家ヴィオレットが書いた小説「私生児」は検閲にかかること確実の出版社泣かせの物だった。


ヴィオレットは小説家として、自分の思いを赤裸々に書く。女性ながらも性について書くことを世間は認めようとしない。


なぜ、世間は自分を認めようとしないのか。


彼女の書く内容が検閲にかかったしまっただけなのだが、彼女はそれを受け止められない。


誰かが陥れようとしてるかのように感じてしまう。


彼女は男性だけでなく、女性にも心が揺らぐバイセクシャル。彼女に小説を書くよう応援し続けたボーヴォワールが自分に好意を抱いてるのではないかと思い、アプローチし始める。


あくまでも、小説家としての彼女の才能を認めて支援していただけのボーヴォワールには困惑しかない。当然ながら、彼女の思いを拒否する。


そうした自分を取り巻く様々な状況を受け止められない彼女はとうとう精神の安定を失ってしまう。幻覚を見たりして入院するハメに。


退院後、彼女はボーヴォワールの支援を拒否し、自分をバカにするなと捨てゼリフを吐いて、全てを捨て、田舎暮らしの中で「私生児」を書き上げる。


女性として性を真正面から取り上げた最初の作家として彼女は人々の記憶に残ることになる。


こうした、ヴィオレットのこし方を淡々と描く映画だ。ヴィオレットについての予備知識があった方が当然映画を楽しめるのだろう。


でも、私はまるでこの女性作家を知らないので、なんだかよく分からなかった。


エキセントリックな女性作家の一生みたいな映画で、彼女の生きた時代背景などを知っていれば、まだ少しは理解出来たのかも。


ちょっと私的には残念だった(>︿<。)


ちゃんと時代背景やフランスの女流作家の流れなどをきちんと理解してる人には楽しめるのかも。