最近、ALSを題材にとる映画がある。昨年の「サヨナラのかわりに(あぁ、とっても感動したのに、タイトルがおぼろげ…汗)」は発症した女性が最期をむかえるまでを描いていた。
今回は少し結末が違う。
主人公は男性で、父親が同じ病で亡くなっていたハンネス。検査を受けてキャリア(こういう言い方で良いのかしら?)であることが分かり、2年前に発症していた。
発症した場合、余命は3~5年だという。そして、半年前から急激に病状が悪化していたのだ。
そんな時に彼は妻キキや友人たちと年に1回出かける自転車旅行の時期を迎えた。今年は、持ち回りで彼が行き先を決める番だ。
シャレた保養地などを期待していた仲間たちに彼はベルギー旅行を提案する。なぜ、ベルギーなのか。
旅の途中、怪我のため今年は不参加になった彼の兄弟が住む実家に立ち寄った時、彼の父を同じ病気で看取った母親が堪えきれなくなって席を外したことから、彼ら夫婦はALSの発症と旅行先がなぜベルギーなのかを語り始める。
症状が悪化し始めたハンネス。近いうちにコップさえ持てなくなる。今なら自転車を自分で扱える。だからこそ、旅の最後に自分の最期の時を迎えようと決意していた。
ベルギーは安楽死を認めている。そこで、彼は自分の最期を選択しようとした。
ベッドで寝たきりになり、体中にチューブが繋がれ、思うよう体を動かすことも意思の疎通さえ出来なくなる最期を迎えたくないという彼の思い。
だから、彼は十分な話し合いもせぬまま、自分の未来を決めた。旅の中で妻や仲間との楽しい思い出を作り、自分がその中で生き続けるために。
けれど、話し合いもし尽くさず、限られた時間の中で決断を迫られた妻は、夫の思いは理解するものの、自分が置き去りにされるような疎外感を持ち、素直に受け入れられない。
この場合、妻の葛藤は至極当然の結果だと思う。
旅の途中で、彼女は仲間たちの支えがあったからこそ、本音を語り、見送る側の辛さを訴える。
彼女には死んでいく夫の身勝手も感じていたのだろう。しかし、どんな形を取るにせよ、死ぬのだ。死が怖くないワケはない。
どうにかして回避できるなら、避けて通りたい。でも、夫の病はそれを許さない。
同じ病で夫を見送った母は、息子と同じ病状だった父がその後1年は必死に生き抜いたと説得した。その日々の中で、母は父に付きっきりで看病し、時間を共有したと言うが、それは彼にとって、ベッドの上で死にゆく日を重ねるだけにしか思えない。
人生は人それぞれ。その思いも様々だ。死にゆく者と見送る者の思いも…
予定していた病院に到着すると担当医が事故にあい、予定を1日遅らせることになった。
その1日を彼らは近くの海の砂浜に座り過ごした。最後の思いをぶつけ合い、歩み寄り、自らの決断への最後の迷いを吹っ切った主人公と仲間たち。
翌日、静かなホテルの1室で彼は逝く。妻に抱きしめられながら。
自分が彼の立場なら…自分が妻キキの立場なら…
病状が回復したり、安楽死への決意を翻したり、そんな奇跡は起きない。ただ、最初の目的を友人たちの力を借りて達成しただけ。
それでも、不意に空いた1日のおかけで彼らの心の中に主人公をしっかりと刻みつけることができたように思う。
自分がいなくなっても自転車旅行はずっと続けて欲しいという主人公の最後の願いを1年後に守った妻や母、仲間たちの姿で終わるラスト。
今の日本では成立しないお話だが、こうした現実を受け入れ、選択する世界もあるということ。
どれが正解なのか分からないけど、やはり、その人の人生なのだ。その人の納得できる選択が用意されている社会であってほしいと思った。
作り物の奇跡など起きない現実を見る。だから、感動の涙は流せない。辛い涙といえば良いかな。でも、確かに胸をつかまれる。