今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

pk(ピーケー)


試写にて。インドで「pk」とは酔っぱらいを指す言葉らしいです。


何にも知らない純粋な彼の「素朴な疑問」に接して、「こいつ、酔っぱらってんのか?」と思った人たちが、彼を指して「pk」と呼んだのが始まりらしい。


インドの田舎町に広がる広大な原野。真っ青な空に突然もくもくと広がる雲。雲の中で妖しく光るのは…


得体の知れないpkの登場シーン。何にも知らず、話し言葉も理解出来ない彼の驚くべき登場シーン。予想もしない形の登場で今後の展開が楽しみになる。


でも、その前にもう1人の主人公であるジャグーのベルギーでの恋が描かれる。インド人の彼女とパキスタン人の彼。2人の関係はその心情より両国の関係が影響し、なんだか暗い影を落とす。


ここが、サラッとでなくてかなり丁寧に描かれている。アーミル・カーンの活躍を心待ちにしてる身としてはちょっとダレる。だけど、ここがラストで大きく意味を持つのだ。


インドに戻ったジャグーは田舎からデリーに出てきたpkと出会う。


彼の話す現実離れした話に最初は耳を貸さない彼女だけど、ある老夫婦の現状を言い当てたところから、彼に歩み寄る。


そして、彼の純粋な心が捉えた様々な疑問に触れ、世の中に蔓延してる嘘を世間に詳らかにするには彼のやり方が1番だと上司にかけあう。


彼女はテレビ局の記者なのだ。視聴率を取るためなら、話題をでっち上げることだって辞さない現状に嫌気がさしている彼女は、pkと一緒に怪しい導師様のところに乗り込んでいく。


pkの捉え方にやり込められる導師様。神様はどこにいると探し歩いた彼ならではの切り口。


pkの大切なリモコン(何のリモコンかは本編で確かめてくださいね‼)は巡り巡って、導師様の手元にあった。


でも、このリモコンとの出会いを導師様は全くの作り話で信者に聞かせる。


pkには嘘をつく習慣が無い。だから、嘘をついて誤魔化そうとする導師様のやり方が理解出来ない。それだから、質問する。何のしがらみもない純粋な疑問をぶつける。


テレビで放送されたpkの質問は、導師や教祖の言うままに行動していた信者たちの目を開かせる。


あちこちでそれまで盲目的に信じてきた事柄に疑問の目を向け始めた民衆。一握りの権力を握る者にとって、一般人が疑問を持つことほど厄介な事はない。


人の上に立つ人ほど、清廉でなければならないとpkは訴えかけてるようだ。


pkのおかけで、導師の嘘が暴かれ、ジャグーに思いもよらぬ感動のラストが訪れる。そして、失くしたリモコンを取り戻したpkは恋心を胸にしまって故郷へ帰る。


ラブストーリーで、SFで、社会問題もあって、様々な顔を持つ映画。宗教を取り上げながらも、その問題点を追求するんじゃなく、導師と信者の間の信じる心のあり方を説く。多くの宗教が息づくインドだからこその映画。


そして、インド映画だからこその2時間半。これで、いつものように盛大な歌や群舞があったら3時間だ…(汗)


活気あるインドの町が舞台だからこそ成立するお話だと思う。深刻な社会問題を描きながらも、明るく笑えるシーンが多い。こんなふうにメリハリの効いた映画は楽しい。


最後にちょっとだけ残念だったこと。ヒロインがインド映画には珍しいショートヘアだったが、美人には変わりなく、アーミル・カーンと軽快なダンスを踊るシーンはとても美しかった。しかし、それはいつも見る群舞のようなシャープなキレのあるダンスではなかった。そこがね。


この2人のダンスは可愛らしく息もピッタリだったんだけど、やっぱりインド映画といったら群舞‼それも主人公を中心にした群舞‼ストーリーを語る歌を歌いながら、華麗にド派手に群舞‼


田舎町にいた頃の前半にちょっと登場しただけだったのが残念だ。いつもは長い理由になる「群舞」も少ないと寂しいから不思議。インド映画って魅力的。