偏屈おばあちゃんのお話。だいたい、頑固で偏屈なじいちゃん・ばあちゃんのお話は面白いよね。
今はもう過去の遺物となりそうな愛すべき人たちの姿なんだよね。そういう存在の人が昔は必ず身近にいたんだよ。
今は自分の手の届く範囲の小さな世界では成立してるんだろうけど、外に向けた繋がりは直接の結びつきじゃなく、電波に乗った物の方が強いのかも…
家を持たず、かつて暮らした修道院の面する通りにバンを停め、そこで暮らすミス・シェパード。
駐車違反の取締りや子供の騒音など、彼女を悩ませる事態が起きるとバンは場所を移動する。
今度は誰の家の前に停るのか?戦々恐々のご近所さんたち。それでも、彼らはシェパードばあちゃんを追い出そうとはしない。
お裾分けしたり、プレゼントを届けたり。だけど、礼も言わなきや、感謝もしない。
そんな偏屈ばあちゃんがやりたい放題のその通りに劇作家が引っ越してくる。自分の母親をネタに芝居の台本を書いている彼は、母に似た勝手気ままなシェパードばあちゃんから目が離せない。
そして、行くアテのないシェパードばあちゃんに自分の家の庭にバンの駐車許可を与えてしまう。
ほんの数ヶ月のつもりで、バンを停めたおばあちゃんはなんと15年もそこを家にして暮らした。
偏屈なおばあちゃんと彼女に対して強く出ないご近所さん。微妙なバランス感覚でおばあちゃんの暮らしを見守っている。
バンの駐車を認めた劇作家はもうほとんど保護者のような立場になっていく。
まるで、彼には母親が2人いるみたい。
だけど、何がきっかけで、彼女はこんな生活をするようになったのか?彼女には人に言えない秘密があった。その秘密を守るために、家の無い車上生活になったのだ。ご近所さんたちは何も知らなかったのだ。
なんだか、緩い優しさに溢れた人々の交流を描くこの映画は一応コメディなんだろうな。それもシャレのきいた1級の…
この映画のストーリーテラーは劇作家本人で、台本を書く1人と外との接点を持つ1人、つまり、作家は二重人格なんだという彼の定義で、それぞれの立場で会話を重ねていく。
冷静に外から見れば、彼は独り言の多い人という感じなんだろう。そんなところからもコメディっていうより、ファンタジーって思ったんだけど。ラストでシェパードばあちゃんの希望通りの台本を仕上げたとこなんか、現実と夢想との境目がよく分らないし(((;°▽°))
さらには、劇作家の家の前での撮影風景が登場し、そこに劇作家と同じ名前の男性が、映画に登場するように自転車に乗ってやってくる。
どうやら、彼がこの映画のストーリーテラーである劇作家のモデルとなった御本人のようだ。ってことは、あのおばあちゃんとのやり取りは実話?
凄いなぁ。こんな人がみんなの生活の中にちゃんと存在してもOKな心の余裕があるんだなぁ…
おばあちゃんの秘密が明らかになった時、最初から正直に届けたら、こんなに遠回りの人生を送らずに済んだのにと思った。そしたら、もう少し気を楽にして生きられたのに。残念。
なかなか洒落てて面白かった。でも、私はミス・シェパードをお手本にはしないけど(^▽^;)