今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

こころに剣士を


日程的に今年最後の1本になりそうです。あまり騒がれることもなかったけれど、ヒュートラ有楽町で上映するなら、良い映画に違いないと思って、観てきましたよ。


実話の持つ重みね。最近はホントにそう思う。事実は小説より奇なりなのだ。


エストニアが舞台。第二次大戦時はドイツに、その後ソ連に帰属して、ある意味、国からして翻弄されてしまった人々の暮らしを背景にしている。


一時期、「戦争」と言えば、第二次大戦でのエピソードはもう過去のものになった感があったけど、ヨーロッパの映画を中心に今だからこそ明らかにされた事実をテーマに第二次大戦後の世界が描かれている。


こうして、やっと語られるようになったエピソードの数々が映画として、世界に語り継がれていく。


「こころに剣士を」もまさにそういう映画。


エストニアの田舎町(あぁ、名前忘れてしまった…涙)にフェンシングのクラブを作った青年のエピソード。


彼は18歳の時に招集され、ドイツ軍の兵士となった。別に好き好んでなったわけでなく、当時の自国の置かれた立場では皆がその道を選ぶしかなかったのだ。


ところが、戦争が終わり、エストニアソ連に帰属することになると彼らは秘密警察から追われる身となった。


母方の姓を名乗り、追手の来ない田舎の街へ身を寄せる。そこで、体育教師の職を得た彼は、子供たちにフェンシングを教えることになる。


労働者階級の人々が暮らす街にフェンシングなど都会的すぎると校長は言うが、子供たちは目を輝かせて練習に参加する。


継続的にクラブを開催することを認めない校長は、保護者会に集まった父兄に意思確認をする。校長の思惑は外れ、保護者たちは子供たちがフェンシングを続けることに賛同する。


この保護者会の席に集まる保護者たちが、街の現状をよく表している。参加してるのは、母親や祖父母たちで、父親の姿が見当たらない。


主人公も秘密警察から身を隠すように暮らしているが、子供たちの父親も収容所送りになっているのだ。ヤーンの祖父が、教育委員会に全て報告するという校長の脅しにも怯まず、賛同の意を表明したことが他の保護者たちの心を動かした。そして、このことが祖父とヤーンを引き離す原因となる。


なんという社会だ。。。


主人公は、自分が子供たちにとって、父親代わりでもあり、彼らの信頼は絶大なものだと気づくのだが、子供たちが望んだフェンシングの全国大会出場は、彼自身の存在を中央に知らしめることになってしまう。


主人公の葛藤はどれほどだったろうか。


これまで、必死に逃げてきたのは何のためか。それでも、彼は決断する。子供たちに希望を与えることを。


主人公の恋人も全てを理解して、彼を全国大会に送り出す。何も知らない子供たちは見たこともない都会の風景を車窓から眺め、キラキラと目を輝かせる。


このシーンの子供たちの表情のなんと美しいこと。このワンシーンを観ただけでも、この映画を観た価値ありと思えるほどだ。


とにかく、子供たちの表情が素晴らしい。目は口ほどに物を言いとはまさに。希望、悲しさ、絶望、不安、そして、喜び…言葉以上に雄弁な子供たちの表情に胸が熱くなる。


特に、フェンシング部を始めるきっかけとなった問いかけをする少女マルタはその瞳に強い力があった。喜びに溢れた瞳、挑むように見つめる瞳。彼女の小さい体が大きく見えるほど…


ラストシーンがまた最高だ。


収容所から帰ってきた主人公が駅に降り立つと恋人だけじゃなく、次々と子供たちが出迎える。


予想外に涙を誘われ、ポロポロ泣いてしまいました。


戦争で戦うシーンは皆無の映画ですが、国の都合で翻弄されてしまう市井の人々の悲しさを描くという意味では、これも戦争映画ではないかと…派手さは無いけれど、ジワジワとくる映画でした。