今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

光をくれた人


試写にて鑑賞。まず、一言で言うならば、いろんな意味で残念な映画だった。


とにかく前振りが長い。その長い前振りのおかげで、本来加害者であるはずの側がまるで悲劇の中心人物のようにすり替えられてしまって、その裏で確かにあったはずの本当の被害者の苦しみがぼやけてしまっていた。


どれほどの葛藤と苦しみがあったか、それらを乗り越えようとした実母ハナの勇気と決断は、私のような普通の人間にはとてもなし得ないもので、圧倒されるが、子供を奪った側をまるで被害者のごとく描くことで、そちらが前面に出ていて(まぁ、そっちが主人公だから仕方ないのか…)、なんだかなぁと。。。


結局、自分の苦しみを癒すために人の苦しみを踏み台にした結果は、必ず自分に帰ってくるんだ。


「1度だけ赦す」というハナの夫フランクの言葉は胸に残った。いつまでも恨みを抱え続けるということは、その恨みに心が囚われ続けるということだと言うフランク。


その言葉の通りに赦すため、心を開こうとしない実の娘を、愛するが故に手放そうとするハナがあまりにも悲しい。その深い愛情に思い至らない灯台守りの妻には共感出来ないし、私は赦せないな、心が狭いから(((^^;)


ラストで、子供を産んだグレースが灯台守りを訪ねてくる。既にあの時から20年ほど経っている。


その間、灯台守りの妻(役名を思い出せない)は病死しているが、渡すアテのないグレースへの手紙を書いていた。グレースに近づかないように暮らしていたと綴っていた。どこまで勘違いなんだ、この人は…と思ってしまった。


グレースは確かに灯台守り夫婦に命を助けられた。でも、最初の選択を誤った彼らのために受ける必要の無い傷を負い、実母ハナとグレースは2人で長い年月をかけて乗り越えてきたんだろう。おそらく、灯台守りの妻が生きてるうちに、グレースは訪ねては来られなかったのではないか。


「1度だけ、赦す」その言葉通りにハナはグレースを育て、共に生きてきたのだろうと推察できる。その事の方が涙を誘う。


けして、灯台守り夫婦の生き様に涙など出ない。自業自得としか思えない。自分の国ドイツが戦時下、加害的立場にあったことで、戦後様々な困難にあうフランク。でも、彼はそうした苦痛を「1度だけ、赦す」ことで乗り越えてきた。その言葉を支えに本来なら憎しみに心を奪われ、半狂乱になってもおかしくない状況を乗り越えたハナの生き様こそ涙を誘うだろう。


灯台守り夫婦に視点を置いて、これを感動ドラマといったら、おかしいでしょ?と思う。彼らは選択をしただけ。自分の辛さを癒すために人の悲しさの上に立つ幸せを。


2度の流産で、希望の光を見失いそうになった時、まるで運命かのごとく、赤ん坊と出会う。でも、それは灯台守りの妻が勝手に運命にすり替えたもの。妻の心の平安を選択した夫の責任は重い。


肝心なところの判断は観る側に委ねたような描き方。こんな大変なことなのに。。。


灯台守り夫婦の苦しく辛い状況を先にたっぷりと見せられるから、実母ハナがまるで子供を取り上げる加害者のようになってしまう。現に、グレースをそのまま灯台守り夫婦と引き裂かないでほしかったというレビューをいくつか見た。ダメなものはダメだと正しい選択をしていたら、彼ら夫婦とハナ母子はずっと交流を重ねられたはずだ。乗り越えるべき大きな高い壁を敢えて自分たちで作ってしまった灯台守り夫婦の選択。私には分らない。


泣ける映画だと聞いたが、泣けるとしたら、全てを受け入れて、なおかつ、けして恨みに心を奪われなかった実母ハナの強い心にだ。その強い心が実を結んだ結果がラストのグレースの姿だ。そこがサラリと描かれていて、残念だった。


この映画、観る人がどこに感情移入し、どこに視点を置くかで、かなり印象が違ってくるのではないかと思う。私はダメだったというだけ。。。あしからず(・_・;)