今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

サーミの血


久しぶりに新宿武蔵野館へ。改装してから初めてだ。スクリーン2と3の間のディスプレイは「EBISU GARDEN CINEMA」みたいな雰囲気。開場前ギリギリに到着したので、ロビー奥のスクリーン1方向までチェックしなかったけど、基本的な配置は変わりが無かったかな。


で、アップリンクとここでしか上映してない本作。確かに地味だもんね。でも、しっかり観ておくべき映画でもあるかなぁと思った。一緒に出かけた相方が、岩波ホールで上映してるような映画だなぁと言ってた。そうかも…


かつて、スウェーデンで公然と行われていたサーミ人への差別を題材にした映画。彼ら独自の民族衣装で身を包み、彼ら独自の歌を口ずさみ、広大な原野をトナカイの放牧をして生活する彼らは、当時、一般の人々より知能が低いとされ、彼らの暮らす場所は限定され、偏見による差別に晒されていた。


国は、放牧で土地を転々とする親に代わって子供たちを寄宿学校に集め、最低限の教育を施していた。主人公の少女はまさにその寄宿生活の中で、サーミ人でない女性教師と出会い、そこではない広い世界に目を向け始める。


オープニングは、少女が捨てた故郷に暮らし続けた妹の葬儀に出席するため、何十年も離れていた土地に戻る場面だ。年老いた主人公はサーミ人を「嘘つきで物盗り」だと言ってのけるが、果たして本当にそうなのか。映画を観ていると、それは彼女自身を指しているのだと分かる。


その嘘で武装した彼女が故郷を捨てた過程が描かれる。


親も子どもたちも自分たちの置かれた立場を受け容れている。その中で、いかに幸せに生きるかを考えている。こうした環境の中で、いくら寄宿学校の女性教師に影響を受けたとはいえ、なんとしても広い世界へ出て行こうと言う主人公の少女の頑なさはどこから来るんだろうかと思った。


主人公の強い目力が印象深い。だからこそ、そこまで強い意思を持たせた彼らの受けた差別の過酷さを感じることが出来る。


広い世界に飛び出したところで、そこには彼女が得られる「自由」はなく、どこまでも彼女の出自がサーミ人だとついて回る。どこにも彼女の居場所は無かった。


それでも、故郷を受け容れられなかった主人公の哀しさが辛すぎる。彼女は何十年ぶりで見た故郷の景色をどう受け止めたのかな。


彼女が最初に語った名前は寄宿学校の教師の名前だった。その名を未だ使い続け、仕事は教師だったと語り、故郷はその教師の出身地だ。となれば、彼女の息子に父親はいないのだろうなと…


そう思うと、けして、幸せだったとは思えない。人の何倍も苦労を重ねたであろう彼女の来し方を思うと、かなりヘビーな人間ドラマだな。