今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

gifted ギフテッド


主人公の男優さん、どこかで見たことある人だなぁと思ったら、キャプテン・アメリカの人なんだなと。私、あんまりアメコミ・ヒーロー物を観てないので、よく分からなかった💦


スーパー・ヒーローを演じる人がこんな優しい悩める青年を演じるなんて、やっぱり俳優さんは凄いわね。


数学の天才を姉に持つ彼は、彼女の忘れ形見を育てている。その姉は6年半前に彼の元を訪ね、まだ乳飲み子だった娘を託し、自ら命を絶った。


その理由が分からない彼らの母親は酷く娘を憎み、その娘を連れ去るように身を隠した息子を許すことが出来ない。


しばらく疎遠だった母親が再び彼らの生活に強引に関わるようになったのは、孫が学校にあがり、娘譲りの数学的な才能を見せ始めたからだ。


確かに数学界において、画期的な証明を果たすことは人類の進歩に大いに貢献することなのかもしれない。娘はそれで、母親の管理の下、異常な世界で成長してきた。


そんな冷たい管理下で、子どもを身ごもり出産したことは奇跡かもしれない。娘にとって、結婚とか家族とかいう自分の生活の確立より、子ども時代に人間らしく生きることの方が大切だったのだろうな。だから、それまで全てにおいて管理してきた母親から遠ざかり、娘に自分が夢見た生活を望んだのだろう。自分の代わりに、大いに人生を楽しんでもらおうと。


母親は数式の証明さえ出来れば、文句は無かった。だからこそ、証明を成し遂げて、自ら命を絶った。あなたの希望は叶えたと。


発表は、母親が死んでからにしてほしいという弟への遺言。彼女は確かに人生の多くを母親に頼り、母親の管理の元に送ってきたが、それは母親の望みを叶えるためだけに強いられてきたものだ。母親の存命中に彼女が証明を成し遂げていたと分かれば、きっと母親は自分の生き方をなによりも肯定し、胸を張るだろう。それを拒んだ娘の真意を知って、どう思ったろう。全て否定されたのと同じだ。


アメリカは訴訟社会。人の心も結びつきも裁判でカタをつける。孫を自分の思い通りにしようとする母親の態度には腸が煮えくりかえる。でも
裁判となれば、どんなに理不尽だろうと命令の下に従わねばならない。


最終的に弟が心に秘めてきた姉の思いをぶちまけることで、元の生活に戻ることが出来たけれど、彼と少女を取り巻く心優しき人々がいなければ、その結果は得られなかったのだと思うと、なんともね。


設定も何も違うけれど、親では無い人やまわりから認められない立場の人の下での生活を子どもが望み、その道を選ぶというお話は、「I am Sam」とか邦画なら「三丁目の夕日」とか、よく見かけるパターンで、この映画、良いお話で、感動的ではあるんだけど、なんだかどこかで見たことあるような既視感に囚われてしまう。そこが少し残念だったかなぁ。


子役の女の子は、まだ前歯が生え揃わないほど小さなかわいい子で、とても熱演だった。もう、これは泣かせる方程式だわ。これはズルいね( ^o^)


幸せにねと暖かい気持ちで終われる映画でした。