公開前からその演者が話題になっていたクリント・イーストウッド監督作品。
アムステルダムから「15:17」にパリへ向けて出発した列車内で発生したテロ未遂事件を題材に、テロを未然に防いだ3人のアメリカ青年にスポットを当てる。
そして、ここ数年実話ベースの映画でメガホンを取ってきた監督が究極の選択をしたのがこの映画の注目点なのだ。なんと、主要登場人物たちは本人が演じたのだ。
誰よりも当時の状況を知る本人たちに演じさせることで、今どき90分という短い尺の中でも事件については説得力のあるものになってると思う。
ただし、そのクライマックスたる事件については、武装した犯人が車両内で1発発砲し、主人公たちが犯人を取り押さえ、まわりの被害状況を確認し、ケガ人を応急処置するという一連の出来事をその事実だけを淡々と描いていく。10分かそこらの尺しかない。
映画のほぼ全編を事件とは一見関係なさそうな主要登場人物の3人の生い立ちに費やす。シングルマザーを理由に子供の教育が行き届いていないと教師から指摘される主人公の母親。離婚率の高いアメリカ社会でそんなこと言う教師がいるのかとびっくりするが、問題児として扱われる少年たちがそれぞれ成長し、それでも社会の役に立ちたいという思いを心に抱く青年に育ったことは、ある意味、母親の教育の賜物だと思うぞ。
そうした中で、軍隊に道を見つけた主人公が落ちこぼれながらも学んでいったことが「その時」に大いに役立つのだから、人生にムダは無いのだと。
確かに犯人を取り押さえる段階で、犯人の銃に弾が装填されて無かったことは幸運と言わざるを得ないが、それでも、彼らの存在があったればこそ、事件の解決をみたというべきだ。
勇敢と無謀は紙一重。確かにそうだけど、彼らには日頃の訓練に裏打ちされた経験があったのも事実。強いアメリカを描くクリント・イーストウッド監督の得意技なのかな。
今回の本人出演は主要3人だけではなく、列車内に乗り合わせた人たちもみな当時と同じ席に座って参加したのだそうだ。これは、事件がテロ未遂事件として解決し、ケガ人はいたが、死亡者を出さなかったことで実現したのだろう。そういった意味では、撮影手法の新しい手段というのは当たらないのかもしれない。当事者を出演させるという実験的手法と話題になってはいたが、もし事件の結果が少しでも違っていたら、こうした手法はとれなかったはずだ。
また、当事者が出演することで、セリフが棒読みだと指摘するレビューも見かけたが、そこは素人さんが出てるんだからご愛敬と言うつもりはない。むしろ、プロの俳優だって、いっつも棒読みの人はいる。あれは棒読みっぽく聞こえるように演出された物なのか?と思えたり。なにも字幕で話を追えるんだから、わざわざ英語に耳を傾けなくても…(汗)
映画って、小さな事でも気になるとその先ストーリーを追えなくなっちゃうことがある。私もそういうことは多いけど、今回の映画に関しては無かったな。
だって、日本人の中にも笑っちゃうくらい棒読みの女優さんいるでしょ?誰とは言いたくないけど、喉まで出かかってて(汗)彼女が登場すると不愉快だもん。あれ、プロなのよ。
まぁ、そんな話は置いといて。クリント・イーストウッド監督は実話に材を採ることが多い。その究極の形が本作。事件において、1人の死亡者もなく、無事スピード解決したという背景から究極の選択が可能になったと。そういうことなんだろう。
そうそう、私は違う劇場で鑑賞したけど、主要劇場である丸の内ピカデリーではタイトルにちなんで、「15:17」上映開始の回があるそうですよ!!なかなか粋な計らい。