今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

映画の原作

映画の原作って、本当に原作…のものと、映画監督が書いた脚本ではない原作と…。

新聞下段の広告欄で、紹介される時、「映画化決定」とか「〇〇の原作」とか…そんな謳い文句に乗せられて、本を手にとることがままある、私f(^^;

監督が自らの原案を脚本化するだけでなく、小説にする。以前『ゆれる』西川美和著(ポプラ社)を読んだ時、なんだか場面描写が映像的だなぁと思った…というより、感じたんだなぁ(^^;)))

同じような印象を受けた作品…『歩いても 歩いても』是枝裕和著(幻冬舎)…

15年前に不慮の事故で亡くなった兄の法事。そこに集まった家族の姿が淡々と描かれる。
以下、感想です!












両親、姉夫婦、そして主人公。彼には再婚の妻とその連れ子…そして、現在求職中。そんな複雑な境遇の彼の語りで進む法事の1日。
その場にいる家族の誰かしらには必ずや感想移入できそうなくらい、普通の家族の風景。

淡々と語られる中で、時折過去の場面描写が挿入される。更にずっと先の出来事も主人公の語りで挿入される。

このちょこっとの場面挿入が、時間軸をどこに置いたら良いのか分からなくなり、読んでて混乱する。

最後まで読むと、すでに「法事の1日」はずっと以前の話なんだと頭の整理がつく。
多分、この混乱の原因である場面の挿入が映像的と感じる所以なんだろうなぁ〜(((^^;)。。。それは『ゆれる』よりも強く印象に残っている。

カットバックってこういうのを言うのかなぁ〜。よく分からないけど…文章を読みながら、映像を見せられてる気がする。

う〜ん。。。文章を読んで、自分の想像力で思い描くのではなく、見せられてるって感じるんだ。これは著者の力?作品の特性?

「法事の1日」を舞台にした映画と同じ尺で書かれてるから、じっくり読んでも1日かからない。不思議な印象のお話。内容は良かったよ(^-^)v