今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

国語の教科書は宝箱!

今日も晴れると言ったのに(天気予報がね…)おもいっきり、曇ってる。お出かけの足が鈍ったので、本の話でも。。。

話題の本を追いかけてばかりだと、見逃してしまったりする穏やかな心持ちにさせてくれる小説…

秋の初めに読んだ本。

『教科書に載った小説』佐藤雅彦(編)ポプラ社

教科書は読書の窓口というか扉だよね。先生にもよるけど、一つの作品をじっくりと読んで、授業を進めてくれたりすると、作品への思い入れやその作家への興味が湧いたりして…

今の時代、小説は勝手に読むもので、授業を使ってみんなで読むものじゃないのかも…我が子を見てるとそう思う。朝の10分間読書運動…良いことだとは思うけど、一つの作品をみんなであ〜でもない、こ〜でもないと話し合うのはもっと必要だと思う。人それぞれ感じ方が違うってことを学べるよねぇ。そして、自分だけじゃなく、みんなの意見を尊重して考えていかなきゃいけないってことも…「相手を認める」…それって、生きてく上でとっても大切でしょ?

ところで…よく、国語のテストで「傍線の部分で作者は何を言いたかったのか、次の中から選びなさい」っていう三択や四択問題があったよねぇ〜。私ったら、本は好きだけど、あ〜ゆ〜読解問題が全くダメで(((^^;)
全然分からないから、欄外に「ここにはない」とか書き込んで、そこに丸印して、提出したことあるよ。答案を返却された時に怒られたのは言うまでもない(;_;)

でもね…今から10年前くらいかなぁ、新聞の特集記事で…大学入試問題に採用された小説の原作者にアンケートをしたところ、半数以上の作家が自分の意図した事と読解問題の解答が違っていると答えてたんだよね。中には「あの部分では何も考えていなかった。問題を見て、そんなことを感じる人がいるのかと驚いた…」って答えてた有名作家もいた。中学時代に私を頭ごなしに叱りつけた、あの国語教師に見せてやりたかったなぁ、あの記事。

なんで、私が教科書のお話に思い入れがあるかって言うと…高校の時に漱石の『こころ』を読んだんだ、授業で。教科書だから、全編ではなかったけど、先生はただ淡々と読んでくれた。いろんな意味でショックを受けて…自分で本を買って、読み直したんだ。それから、しばらくは漱石作品を読んでたなぁ。
でも、未だに先生が読んでくれた部分だけはまるで映画でも観たかのように頭の中にイメージが湧いてくる。

それに『平家物語』…これは古文の授業だったかぁ?木曽義仲が敗走していく場面、今井四郎兼平が追っ手を阻むために自ら落馬し、最期をとげる部分。先生が読んでくれた時、映像が頭に浮かんだよ。
先生の読み方も上手かったのかもしれないけど、学生時代にそういう経験をしたことが、私に読書の道を拓いてくれたんだなぁ〜

人一倍読書量が多い訳じゃないけど、本が大好きって言える自分にしてくれたのは学生時代の教科書に載った小説…

だから、そのまんまのタイトルの本を手にとらないワケないじゃない?

以下、感想です。














編者の佐藤氏が様々な時代の様々な教科書から選んでくれた短編小説。よく、名前を聞く作家もいれば、初めて知る作家も…巻末には作品が収録されている本のタイトルが記載されていて、興味を持った読者の今後にも親切。教科書への書き下ろし作品もあって、教科書も侮れないことが分かる。

どの作品も選りすぐりのものだけにとても良かった。安部公房作品は前から読んでみたいと思いながら、手付かずだったので、初めて読ませてもらったし(^-^)v
国語の時間にこんな作品を読める学生時代って羨ましい。佐藤氏は続編を考えてはいないのだろうか…佐藤氏自身、教科書に載った小説にいたく思い入れがあったためにこの仕事をされたとか…良い本に出会いました。ありがとう(*^^*)

子供の教科書をちょっとのぞいてみようか…と思う。
あっ、晴れてきた!
ちょうど日記も一段落。出かけてきます(^-^)/