ヴェネチアの物語。
以下、感想…
音楽家、作曲家としてのビバルディの評伝という形ではなく、生前のビバルディが情熱を注いだヴェネチアでの活動やピエタ(当時、頻発していた捨て子を育てるためのキリスト教会の慈善院)での音楽教育に関わった人々によるビバルディへの思いを語った小説。
だから、実在した人なのか、分からない…
でも、彼ら、彼女らのビバルディへの思いはとても深く、きっと、こうした思いの深い人がいたから、一時は世間から見向きもされない状況に陥っていたビバルディの音楽が時を経て、世の人々の心に届いたのだろうかと…
そんなふうに思わせる説得力のある大島真寿美さんのつぐむ物語。
物語の主であるはずのビバルディの死後からお話は始まり、かつて、ピエタでビバルディの音楽教育を受けたエミーリアが、それまで知らなかったビバルディの本当の姿を知る人々に出会い、物語の進行役となる。
かつて、ビバルディが自分のためだけに書いてくれた練習譜の裏に書きなぐりのような詩を残した女性から、ビバルディの死後、その譜面を探してほしいと依頼されるエミーリア。
彼女は譜面を見つけたら、ピエタに多額の寄付をしてくれるという。お金に目が眩んだわけではないけれど、財政事情の悪いピエタのため、生前のビバルディと親交のあった人々を訪ね始める。
そんな中、ビバルディと演奏旅行をしていた女性から耳にしたビバルディの秘密。
それまで、ピエタの外の世界とは、ほとんど接点の無かったエミーリアが、勇気を出して、ビバルディと密かに逢瀬を重ねていたコルチィジャーナの元を訪ねる。
ここから、物語は大きく動きだし、ビバルディは、本当に温かい人々に支えられていたのだと知る。
ビバルディにかかわるお話だけでなく、エミーリアのかつての恋についても触れられる。
それは、哀しい結果となったけれど、エミーリアにとっては、ピエタで育った人間としては仕方のないことだというハッキリとした思いがあった。
しかし、エミーリアの恋の相手を昔から勝手に追い求めていた女は、財力に物を言わせて、エミーリアの思いを踏みにじり、さらに、エミーリアが全く気にかけていないことまで、先走って、手を打っていく。
エミーリアの恋した男と結婚し、エミーリアの友人の兄嫁となった女。
表面は、素晴らしい女性を演じながら、いつも心の奥底でビクビクしていた女。
月日が経ち、当主の妻になっても、その心根の貧しさをついぞ、癒えることがなく、大切に育てたはずの娘は、敬遠していた夫の妹やその友人であるかつての恋敵、エミーリアの方を慕うようになる。
そして、妹が亡くなった後、奇跡のように舞い戻ってきていた譜面が、忽然と姿を消す。
誰の仕業か…
物語には、義理の妹の口から語られる姿と、たまたま偶然エミーリアが見かけた姿しか登場しないけれど、後味の悪さとしては最高に存在感を放っている。
叔母の死後、額に入っていた譜面を探した姪は、無くなっていることに気づき、執事に問いただすが、知らない方がよいと諭されてしまう。
エミーリアも結局、同じ答えを…
いつか、彼女は気づくだろうか、自分の母親の救いようのないイヤらしさに。
世の中は、こうして上手くいくのだ。
救いようのないイヤらしい人間にしか、救えないものがある。
そして、それを責めたところで、何か変わるわけでもない。責められた人間は仮面をかぶり、いつしか自分の本性を見失う。
そして、自分を隠し続けて得たものは何だろう。
ビバルディを見送った人達は、愛するものに対して、本当に暖かく、真っ直ぐな心を持っていた。
それとの対比として、エミーリアを恐れる女の存在やその貧しい心は、なんとも言えず哀しい。
感動はしたけれど、妙に後味の悪いお話だった。
私だけかな…(^_^;