今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

沈黙の町で


ちょっとこの1週間、コンスタントに本を読んでます(*^^)v


タイトルも内容も何かしら調べた結果、読もうと思ったはずなのに、図書館で渡されても、全然記憶の闇から引っ張り出せない(;^_^A


とりあえず、読むしかない!!


「沈黙の町で」奥田英朗(朝日新聞出版)


以下、感想…














とある中学校…


新学期が始まり、一連の行事が一段落した頃、事件が起きる。


放課後、帰宅しない息子を心配した保護者からの連絡で、校内を巡回した教師が見つけたもの…


運動部が使う部室棟脇の側溝に頭を打ちつけて倒れている生徒。


それこそが、教師が探していた帰宅してこない生徒だった。


なぜ、彼は死んだのか…なぜ、この場所で死なねばならなかったのか…


背が低く、見るからにひ弱そうな少年の様子から彼の死の背景に「いじめ」の存在が疑われた。そして、彼の体を検死した警察によって、彼の背中にある無数の内出血が明かされ、事態は大きく動いていく。


少年と仲良しグループと思われていた4人の生徒が逮捕補導された。


少年たちは中学2年生。この中学2年生という年は少年たちの処遇に大きな「差」を生む。


既に14歳になっていた2人は逮捕され、まだ13歳だった2人は児童相談所送致の補導…


子供たち自身にもその保護者たちにもこの扱いの違いは微妙な距離を生んでいく。


不公平感…なぜ、自分たちだけという思いとホッとする気持ち。ホッとする気持ちを抱いたことへの罪悪感。さらにそれを責める思い…


それぞれがそれぞれの立場でしか考えられない…人間はよほどの一大事にあたり、まずは自分の判断でしか考えられない。そして、それは日頃の思いとは関係なく、否応なしに身勝手な方向へと進んでいく。


それでも、生きている人間はまだ良い。未来があるのだから…死んでしまった人間はそこまでだ。


それが最後の砦…


せめて、今は「時間」を頼りにするしかないのだと、遺族の思いを最優先して考えていかねばならないと…


しかし、遺族の思いに向き合う前にみな自分の生活、自分の子供への影響を第一に考えていく。


実際にあった「いじめ」と少年の「死」の因果関係が証明できないことには犯罪として立件できない。


人の心を介在する「事件」の場合、立件は難しい。


その中で、「時間」が子供たちに冷静さを取り戻させていく。いじめの首謀者とされた少年が実は全くの事実無根であったり、最初からいじめへの介在が取り沙汰されていた不良グループが全く関係なかったり…


そして、2度の警察による聞き取り調査をしても依然としていじめたことを認めない子供たちがいることが判明したり…


大人たちからは一方的にいじめられる側だと思われていた少年が実は自らその原因を作っていたことが判明したり…


大人には見えない子供の社会、親が知らなかった子供の姿…


田舎の狭い町を震わせた少年の死…その本当のところは死んだ少年にしか分からない…


小説は何一つ解決をみないで終わる。


白と黒だけでは語れない人間の社会…


それぞれにバックボーンも無く、むしろ残酷にストレートな「学校」という社会…


読みながら、自分の中学時代を思い出した。


いじめは確かにあった。その的となるのは総じて体が小さく、まわりに迎合するタイプの生徒だった。


そして、この小説の少年のように、いじめられ、からかわれるのが分かっているのに仲間に入ろうとし、自分より力の無い者に尊大な態度をとる。そして、自らを大きく表現し、かえって、いじめの標的になるようなことを自ら引き起こしているのに気づかない…


この小説も膨大な取材をした上で書かれたものだろうから、「少年」像はかなり現実をふまえたものだろう。


私たちの中学時代にもいた「少年」は今もいるのだと…


人間の心…


何が真実なのか…


正直、読みながらあまり気持ちの良い作品ではなかった。


後味が悪い…その一言につきる。


小説の出来不出来ではない…その内容に…