3/3アカデミー賞で作品賞を受賞した作品。
監督は「シェイム」のスティーブ・マックイーン。同姓同名だからね(^_^;
さて、まずもって、大問題なのは…
この邦題と日本公開直前にアカデミー賞で助演女優賞をルピタ・ニョンゴさんが受賞したこと!!
この2つのために、日本人は絶対この映画に対して誤解をもって臨んだと思われる。
肌の色の違いから差別を受け、奴隷として生きてきた黒人さんが厳しい苦難に直面し、追いつめられていく。そんな苦境にあっても、それでも夜は明けるのだ…って話だと思いこんでた人は絶対いると思うんだけど、どうだろう。
時代としては、北部では「自由黒人」という立場で、証明書を持ち、自立した生活が保証されていた頃…南部ではまだまだ格段の差が存在していた。
また、奴隷として売買される新たな黒人は既にその供給源が絶たれ、奴隷売買で金を得ていた輩は、自由な存在だった北部の黒人たちをターゲットに。
彼らを仕事と称して騙した上で連れ出し、拉致した挙げ句、奴隷商人に売り渡す。
身ぐるみ剥がされ、身分の証明が出来ない彼らは、生きるために生き延びるために、教育を受けていないフリをし、白人の雇い主に従順に仕える。
しかし、過酷な日常に生きる希望も失せていく…
映画は、自由を奪われた主人公が、奴隷として売られ、雇い主を転々としていく中で、どれほど過酷な経験をしたのかを綴っていく。
その過程で、彼だけでなく、彼と共に働いた黒人たちの厳しい現実も合わせて語られる。
そこに助演女優賞を受賞したルピタ・ニョンゴ演じるパッツィーが登場する。
彼女は雇い主の目に留まり、慰み者としての仕事も課せられる。さらに、夫人の嫉妬の矛先となり、さらに過酷な仕打ちを受ける。
主人公ソロモンが見たこととして描かれるパッツィーの苦境は、あまりにも辛く凄まじい。その印象があまりに強いので、映画の本筋がどこなのか一瞬見誤ってしまう…
映画は、そうしたサイドストーリーを突然放り投げるようにして、本筋であるソロモンの奴隷からの解放に向かっていく。
奴隷制度への非難でもなく、その解決を語るのでもなく、自由黒人という立場の人々が理不尽にも奴隷州に連れ去られ、名前を奪われ、人権を無視され、過酷な生活を強いられ、その多くが解放されることなく、消息不明のままとなった事実をスクリーンに映し出したのがこの映画だ。
ソロモンが12年の奴隷生活から解放され、自分の経験した過酷な日々を綴って刊行した物が原作だ。
この映画は、ソロモンという個人の見聞きしたことを映画としたのであって、奴隷制度を語るものでは無いので、やはりあの邦題はダメだと思う。
結局、保安官を付き添わせて自分を迎えに来てくれた白人の友人の馬車にソロモンは飛び乗る。
ソロモンにとっては奇跡だ。
でも、彼の走り去った屋敷前には多くの奴隷たちが取り残される。
これが現実であり、あの時のソロモンには、他の人たちを救うことなど出来はしない。
ソロモンを見送る彼らもそのことを十分に知っている。
なんとも形容しがたい解放シーン。
12年もの間、家族のところに帰るという希望を持ち続けたソロモンとひたすら待ち続けた家族の涙の再会だけは暖かい気持ちでいられたけれど、後はもう辛く苦しいシーンばかり。
ソロモンの身に起きた出来事を1つの現実として知ることの意義。
そういう感覚でしか観られない。
ルピタ・ニョンゴ演じるパッツィーは、過酷という言葉以外の物が見つからないほどの境遇。
年若い彼女がどんな思いで演じたのか、さぞや辛かったであろうと涙が止まらない。