今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

陽だまりハウスでマラソンを


ヒュートラ有楽町にて鑑賞。


主演は、ドイツの国民的俳優だというおじいちゃん。マラソンのシーンは、実際のベルリン・マラソンで撮影されたそうだ。


そして、主演のおじいちゃんは、まず体作りから始め、体重を落とし、撮影に臨んだとか。おそらく、ゴール前のシーンは実際に走ったのだろう。


なにしろ、ゴール場面のオリンピック競技場でのウエーブは、彼の入場と共に誰彼となく自然に始まったそうだから。


そんなエピソードを耳にして劇場へ。でも、この邦題はちょっと違うんじゃない?


邦題からすると、介護施設で愉快な仲間たちと夢を追う話のように感じるでしょ?


結果としてはそうだけど、実際におじいちゃんがマラソンの当日を迎えるまで、いろいろと紆余曲折があって、とても、あの施設を「陽だまりハウス」なんて言う気にはなれない。


どこの国でも、高齢者介護は厳しい現実に直面しているのだ。


本人がどれほど大丈夫だと言ったって、世の中はそれを許さない。介護施設に入ったら入ったで、「安全」の名のもとに高齢者の自由を制限し、1人1人に寄り添うことはほとんどない。


それが時代だと頭では分かっていても、彼らにだって、語り合える思い出がある、夢がある、希望がある。


施設の職員が「安全第一」で用意した決まりきった日常。不満があっても、敢えて声を上げることもしない。目立てば、余計に自由を制限されるからだ。


そこに入居してくる老夫婦。妻はかつてガンを患い、今も無理はきかない。夫は、若かりし頃、敗戦後の混乱したドイツ社会で国民に希望を与えたヒーローだ。マラソン・ランナーの彼は、オリンピックで絶体絶命のピンチから諦めずに走り続け、逆転で栄冠を手にしたまさに「希望」だったのだ。


そんな彼が、自由の無い日常に声をあげる。


そして、かつて栄光を手にした「マラソン」で人生の勝者であると証明するために走り始める。


頑固なおじいちゃんは、頭でっかちな職員には目の上のたんこぶ(汗)


若い頃からずっと隣で支えてくれた最愛の奥さんの病状が悪化するのだが、おじいちゃんの頑固さは変わらない。


施設を抜け出し、娘の家に転がり込むが、娘も職員同様、忙しい日常に追われ、とても歩み寄ることが出来ない。


そうこうするうち、おばあちゃんが亡くなり、おじいちゃんは1人になってしまう。


そのおじいちゃんを苦境から助け出したのが、顔を合わせれば、言い合いをしていたもう1人の頑固者おじいちゃんと女性職員の中の「黒一点」で仕事もかなりいい加減な今時の若者のお兄ちゃん。


なんだか、皮肉な結果だけど、彼らには自分の意思を真っ直ぐ貫くおじいちゃんが、ある意味羨ましかったんじゃないかな。


パウロというおじいちゃんの名前は、今ではみんな忘れちゃってるけど、競技場のスクリーンにおじいちゃんが映し出されるとみんな様々な思いを抱きつつも、おじいちゃんに声援を送る。


施設の仲間たちも施設を飛び出して、おじいちゃんを応援するために競技場へ。


ちゃんと走り切るというおばあちゃんとの約束を果たしたおじいちゃん。1人ではきっとやり通すことは出来なかっただろう。おじいちゃんが拳を上げた先に施設の仲間たちがいた。


おばあちゃんが居なくなったら、自分も死ぬと言っていたおじいちゃんは、走りきったことで、おばあちゃんのためにもしっかり生きることを選ぶ。


厳しい高齢化社会の現実の中でも夢や希望を持ち続けることで、少しずつ日常の色合いが変わっていく。


そんなヒントをくれる映画だ。