今でも、硬い表情を崩さずタラップを降りてくる蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんの姿を忘れることはない。
かつて、相方の仕事の関係で新潟に住んだ時、市内の遊び場があまりに少なくて、よく新潟空港に飛行機を見に行った。
羽田や成田と違って、空港横の海岸線ではすぐそこに飛行機が飛んでくる。手を伸ばせば届きそうな程近くに飛行機の胴体をみることが出来る場所で、子供たちも大喜びだった。
ただし、地方空港ゆえ、便数は数えるほどしかなく、ほとんどが週末に集中する。
離発着の集中する、ある一時を過ぎると空港周辺はほとんど人の姿がなくなってしまう。
そんな話を地元で育った子供の同級生のママに話すと…
自分たちが子供の頃は、今の空港周辺地域はもっともっと寂しいところで、夕方以降はあの浜に行ってはいけないと親からきつく言われていたと…
なぜ?と問うと。
人目の無い浜などにいたら、いつ拉致されてもおかしくないからだと…
彼女の子供時代は、まだ「拉致」も全国的にはそれほど騒がれてはいなかったはずだ。
でも、彼女たちは「人さらい」とか「誘拐」という子供を狙う犯罪への注意ではなく、北朝鮮による「拉致」に対する注意を受けていた。親だけでなく、彼女たちを取り巻く世間からも…
地元では噂という範疇を超え、事実として受け止められていたんだ。
そんなことがあったから、1度読んでみたいと思っていた蓮池 薫さんの著作。
文庫本になったのを機に手に取った。
「拉致と決断」蓮池 薫(新潮文庫)
突然襲われ、知らない国に連れ去られる。
拉致の対象は無差別に、実行組織は国家の中枢に。
そんな映画みたいな設定が現代社会にある訳がないじゃないか。そんなふうに思っていた。ところが、私たちの思いもよらぬ現実が存在した。
若き青年を拉致し、何をさせたかったのか。蓮池さん自身の手による本書で明らかになるのかと思っていたが、どうも違う。
異国の地に連れ去られ、自分を見失うことなく、生ききった蓮池さんご夫妻。薫さんご自身は帰国後も継続的に拉致被害者の帰国に向け、活動しておられる傍ら、こうして著作もする。
この優秀な青年を彼らはどうしたかったのか。
本書で読む北朝鮮での蓮池さんの生活ぶりからは今一つその辺りのことが理解出来ない。
当の蓮池さんにとっては、もっともっと混乱したことだろう。
そうした彼の尋常では無い境遇を知ることは、今なおかの地にあって帰国を待ちわびる人々の気持ちを少しでも理解する助けになることは言うまでもない。
拉致被害者当人はもとより、帰国を心待ちにする家族も年々高齢化している。
なんとしても、お元気なうちの再会をと願わずにはいられない。
あとがきに記されている蓮池さんの思いを知るためにも、少しでも多くの人が本書を手にされることを望む。