今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

冷血


久しぶりにヘビーな物を読みました。圧倒的なその分量に負けず劣らず、ヘビーな内容。


読みながら、思うことも多々あった本当に久しぶりのやりきった感満載の読書です。


「冷血 (上)(下)」高村薫著(毎日新聞社)


以下、感想…






















まず、「冷血」と言えば、トルーマン・カポーティ。しかしながら、そちらの本家は読んだことがありません。


名前だけは知っているという…


そして、今現在やたらとテレビCMが流れている東野圭吾原作の映画「天空の蜂」を見る度に思うこと、原発関連のテロを扱った小説と言ったら高村薫さんの「神の火」


そこで、高村薫さんの新作を読んでみたいな…と。


さらに、麻見和史さんの「警視庁捜査一課十一係」シリーズを読みながら、私の中で警察小説の主人公と言えば、合田雄一郎だな…と。


ところが、「太陽を曳く馬」で久しぶりに帰ってきた合田さんのお話が、あまりにもヘビーで、事件も難解で、上巻だけはなんとか読んだけれど、とても続きは読めそうにもないとリタイアしたことが強く引っかかっていて。


本来なら、リタイアしたところからの再挑戦を果たすべきだけれど、今はその気力もなく、もう少し読みやすそうだという印象を受けた合田雄一郎最新作を手に取った。


しかし、こちらの思いとは裏腹に上巻の第一章は、合田さんが指揮を執ること(もちろん、係長として自分の係をリードするだけなんだけど…)は全くなく、指揮を執ることになる事件の被害者と加害者が遭遇し、事件が発生する「その時」までの時間が描かれる。


加害者は事件に至るまでの成り行きが、順を追って語られ、被害者に至っては、その日を迎えるまでの日常風景が描き出されるのだ。


事件発生場所とはまるで繋がりのない場所から始まる加害者たちの行き当たりばったりの彷徨。


なぜ、彼らの日常がここで語られるのか分からないとある幸せな家族の姿。


凶暴性を抱えた30代の男2人の行状と交互に語られる、まるで無関係な家族の風景。その構成から、この無計画な若者達の手にかかるのが、この家族なのかと考えながら、読み進めることになる。


それは、苦痛でしかない。


登場人物が苦痛を味わうのではなく、読む側がだ。最終的には、もうどうでも良くなってしまって、読み進むのにたいそう時間を食うことになってしまった。


そこで、失礼ではあるが、ポンポン読み飛ばして大筋だけ押さえる形で、第一章を読み下し、事件の認知から始まる第二章からじっくり読むことにした。


ここで合田雄一郎、登場だ。


捜査一課の強行犯係にいた合田さんも今では、主戦上を離れ、特殊犯係の係長だ。事件認知を受け、捜査一課の主力と目される8係と一緒に特殊犯係も投入され、かつての足を使う捜査の第一線でなく、報告書をチェックし、捜査員たちを束ね、励ますのが仕事になっている。


基本、この特殊犯主戦場は誘拐などの交渉事や知能犯対応、医療過誤も範疇。しかし、そんな花形部署ではなく、合田さんの担当はコールド・ケースなんだそうだ。彼に合ってるかも…


ところが、実際は特殊犯係の花形というべき交渉関係に主だった係は引っ張られてしまい、本来の目的であるコールド・ケースに関わる暇もなく、対応しきれない医療過誤にほとんどの時間をとられている現状だ。


合田さん率いるそんな特殊犯4係が投入されたのが凶悪という意味では他に類を見ない「特殊」な事件だった。


そして、第二章のラストで、逃亡中だった犯人が逮捕され、事件は新たな段階に進んでいく。


それは、第三章。合田さんが、取り調べで得た録音を聞きながら、既に被害者は亡くなってしまっているので、事件の真相を知る者は犯人だけしかいない現状の中、彼らの言う真実に迫っていく。


下巻はこの第三章だけ。とても、長い。長い取り調べ期間を経て、裁判が始まる。裁判での判決文等も書き出されているので、小説の流れとは別に多くのページが割かれている。


裁判上の公的文書は正直あまり読む気にもならなかったが、小菅の拘置所に移されてからの犯人と合田さんのやり取りがなんとも心惹かれる物だった。


あるレビューを見かけ、犯人に寄り添う形の小説に反発が多かったことを知った。結局、善良な被害者の立場に何も配慮していないと感じられたからか?


でも、どちらも取り上げるとなると、同じ目線では語れず、どこまで行っても平行線の文章を読み続けることになる。そんなことなら、どちらかに目線があった小説の方がずっと読みやすい。


合田さんは犯人を追求する側だ。事件にも依るだろうが、この度の事件のように被害者が既に死んでから事件の認知がなされた場合、警察官は被害者の生の声を聞くことが出来ない。


これは、あくまで、合田さんの目線で語られる「事件」なのだから、彼には被害者に対して語れることが無かったに違いない。


世間の耳目を集めるような事件を起こしながら、明確な動機を持たず、ただその場の流れに従って、転げ落ちるように犯罪を繰り返した男たち。


その彼らの心を問い求める第三章であったように思う。


辛く窮屈な文字に追われるような第一章は、苦痛でしかなかった。文字を追うにも目がついていかない状態だった。ところが、第二章と第三章で合田雄一郎が語り始めると途端に物語にリズムが出てきたように感じられた。


上巻は前半部分を飛ばし読みしており、今はとても再度目を通す気になれない。でも、下巻は傑作と言って良いのではないだろうかと。


他の著者の作品なら、大判で持ち運びに不便な単行本を無理して読まずとも数年後には文庫本になっているだろうが、高村薫さんは違う。


マークスの山」だって、相当経ってからの文庫化だった。


おそらく、「太陽を曳く馬」だって、本作だって、文庫本になるのは相当先だ。もしかしたら、10年経ってもまだかもしれない。


そう思ったら、この単行本を読んでおいて良かったと言うことだろう。


高村薫さんは文庫化にあたり、大幅に手を入れて加筆修正されることで知られている。そのための長い年月なんだろう。


確かに私は合田雄一郎小説は全て単行本で読んできた。


ちょっと、振り返るためにも、「マークスの山」「レディ・ジョーカー」「照柿」を文庫で読んでみるのも良いかもしれない。


また、長い旅になりそうだけど(~_~)