今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

レディ・ジョーカー(新潮文庫版)


マークスの山」、「照柿」とくれば、次は「レディ・ジョーカー」だ。


合田雄一郎3部作というべき作品。


あの分厚い単行本を読んだのはいつだったか。文庫化にあたり、必ず大量に加筆修正される高村薫さんの小説だからこそ、文庫化されたら、順に読んでみたいと思いつつ、なかなか実現しなかった3作読破。


やっと、読み終わった。


レディ・ジョーカー(上・中・下)」高村薫(新潮文庫)


以下、感想…




















文庫化にあたり、最終ページに「全面改稿」との断りがあるように「加筆修正」という範疇を越えた形で世に出たらしい。


まず、続けて読んだことで感じた違和感を。それは、「照柿」では「合田雄一郎」は「雄一郎」と表記されていたものが「合田」となったこと。


加納祐介も「加納」表記だったが、彼も前作では下の名前ではなかったか…


名字での表記と名前の表記では、なぜか受け取る側の印象が違うのが不思議だ。


「照柿」では、蓋をしたはずの過去の記憶に縛られる彼の生身の人間としての感触が伝わってきた。だからこそ、ほんの僅かな出会いの中で恋に落ちた彼の姿が身近に感じられ、警官ロボットではない「雄一郎」がそこにいた。


ところが、上中下巻の3分割された本作では、警官ロボットとしての「合田」と、別れた妻の存在を介在したかつての加納祐介との関係とは違うものが織り込まれた印象で進む彼ら2人の会話の中だけで成立する「雄一郎」という名前の表記との違いが妙に心を引きつける。


こんなの私だけか?


この小説も事件が起こるまでは合田雄一郎に登場の機会は少ない。


ある1つの事件に絡む様々な事象、人物、それらに少しずつ目が配られていく高村薫さんの警察小説では、合田雄一郎とて事件解決のための1つのツールでしかないようだ。


事件発端までの積み上げが主となる上巻に3日、実際に事件経過とそれに伴う合田雄一郎の動きが多く語られるようになる中下巻はそれぞれ半日で読み切った。


やはり、合田雄一郎が動き出すということは、小説の主題である「事件」そのものも動きが出てくるわけで、小説自体に躍動感が出てくるかのようだ。


とにかく、刑事としてのセンスと人間としての清廉さと確固たる自分を持つ合田雄一郎という1人の人間が、かくも不条理な世の中の一端で警察という雁字搦めの組織に徹底して抗う姿がなんとも惹かれるわけで…


ほとんど破綻してると思われる刑事にだって、並みの生活があり、家族があり、妻や夫がいて、日々の営みを重ねていく。ところが、合田雄一郎はどうだ。


事件となれば、人より嗅覚が研ぎ澄まされ、着実にうち固めていく実力がありながら、人の越えない一線を軽々と越え、キレることに何の頓着も無い。


破綻してるのはどっちの方だと言われそうな男が、清々しい若さを見せる。


そこが魅力ではあるんだけど…


結局、組織の歯車の1つでしかない己を誰よりも自覚し、それでもと、自分なりの「正義」で動く男が魅力的で無いわけがない。


本作では、加納祐介との関係にはっきりと合田雄一郎自身が目を向ける場面もあり、それもかなりドキドキするんだけれども…


次作の「太陽を曳く馬」を断念しちゃったので、その後の関係性が分からぬままだ。その次の「冷血」では、加納祐介の登場は手紙のやりとりなどほんの限られたものだったので、やっぱりちゃんと読まなきゃね。


でもなぁ、「レディ」だって、十分難解なのに「晴子情歌」に始まる3部作はもっと難解だと言うし…(泣)


本作は、合田雄一郎の登場もさることながら、なんと言っても「レディ」の存在が‼


雨が降ってきたパドックで車椅子に座るレディが大勢の群衆から遠巻きにされ、1人取り残されていく場面は、どうしようもなく胸が揺さぶられた。


彼女は自由にならない自分の体をどうしようもなく、それでも生きていくしかない。


何もかも上手く行かず、娘の世話に追い立てられ、行き場を失った父と母が彼女を道連れにするでもなく、自分1人だけで、母は命を断とうとし、父は姿を消した。


父と母の不在を自覚しながらも、彼女は車椅子に座り続けるしかなく、ただ、雨に打たれるしかない。


彼女が置き去りにされたその世界の一方では、何億という巨額の金が動き、人の命が簡単に闇に葬られる現実がある。


どこに心を置いていけば良いのか、ちょっと悩むことになる。


渡哲也さんが薬局の爺さんを演じた石原プロの映画版、上川隆也さんが合田雄一郎を演じ、合田を中心に描いたWOWOWドラマ版。


いずれもよく出来ていたと思う。


原作から映像化にするにあたり省かれた部分や再構成された部分も多かったが、それでも、それなりに納得できたのは、やはり原作の力なんだろうか。


ドラマ版が1番幸せな仕上がりだったかな…


しかし、ドッと疲れた。


最後に、本作が単行本で発刊された時、私のうっすら残っている記憶では帯に「映画化決定」の文字があった。確か映画化される時期も表記されていたと思う。


いつだ、いつだと待っていたが、結局その時期は過ぎ、誰にも語られなくなってしばらく後に石原プロで映画化とニュースになった。当時の石原プロの状況から考え、「西部警察」みたいな警察映画になったら、どうしようと妙に不安になったのを覚えている。


あぁ、映画もまた見たいな。