今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

晴子情歌


高村薫さんの合田3部作に続く新たな3部作。


福澤一族3部作にやっと手を伸ばしました。


大好きな合田雄一郎は全く登場せず、彼の生活とは全く重なるところの無い物語。


「晴子情歌(上・下)」高村薫(新潮文庫)


以下、感想…


















久しぶりの登場で合田作品の1つと思い、手に取った「太陽を曳く馬」。結局、難しくて途中放棄(汗)


ところが、それは新たなる高村薫3部作の最後の物語だったそうな。


その第1段が本作「晴子情歌」


晴子という名の母親が息子彰之に書き綴った膨大な量の手紙とそれを読んだ息子の心を追った作品。


まず、母親が1年近い300日という間、ほぼ毎日、漁船に乗る息子に手紙を書き送るということがどれほど異常なことか。


深い絆で結びついた親子などと簡単に片付けないでほしい。この母の情念のような語りが真実は何を語っているのかと考えるだけで私には空恐ろしい。


しかし、旧かな遣いで綴られる母の手紙はある独特のリズムを生み、それが、手紙の中の風景に息を吹き込み、なんとも生き生きとした情景に映る。


このリズムのおかげで、一風変わったこの小説を一気に読み進めることが出来たのだ。


かつて、東京の本郷に住んでいた少女が彼女を取り巻く運命とも言うべき流れに身を任せるうちに東京とはまるで環境の違う青森や北海道を流れ歩き、その地で長く続いた名家に嫁ぐことになる。


その彼女の来し方を息子に語り聞かせる膨大な手紙。よくぞ、息子は読み切ったと思うし、私が子供なら、私が母親ならと両方の立場で考えても有り得ないこととしか思えない。


そんな斜めの目線で感じ取るからか、確かに瑞々しい息吹を感じさせる母親の手紙ではあるが、これは全て真実なのだろうかと。


あくまで、彼女の目線で見て、その時々の彼女の価値基準で判断した内容に過ぎず、これが全ての真実とは成り得ない。


だから、私にはこれが息子への書き置き(遺書のようなものかな…)であり、言い訳でしかないのだと感じられた。


息子が生まれるまでの母の来し方。普通なら見合いや恋愛で結婚を決意する男に出会い、そこで、家庭を築き、子が生まれ1つの家族となっていく。


ところが、晴子は全く違う形で家族を得ていった。


どんな名家にも1人はいそうな放蕩息子。滅多に家にも寄り付かないその息子に予期せぬ子供が生まれた。いよいよ戦火が本土を焦がす日も近いと皆が感じ始めた時代に、残された女1人にどうやって子供を育てることができようか。


手広く事業を広げ、国会議員の父もいたその男の実家に子供は預けられる。


晴子は父親を亡くした後、小さな兄弟を親戚に託し、自分だけは奉公の先を探して、1人別な道を歩んだ。


晴子の奉公先がその放蕩息子の実家だったわけだ。大きな屋代に奉公人は沢山いたが、戦争が長引くにつれ、どんどん人の姿が減り、結局晴子だけが住み込みで福澤家に残る。


そんな晴子は台所の賄いから、掃除、洗濯、子守りまで立ち働き、放蕩息子の子供に至っては、乳飲み子の頃から母親同然に育てることになった。


召集令状が届いた放蕩息子は、自分の子を育てている晴子が自分が戦地に赴いた後、福澤の家で何の拠り所もなく生きていくことがどれほど厳しいか考えたのだろうか。


出征前日に、子供を養女として自分の娘とし、晴子を嫁とすると宣言したのだ。


奉公に来て数年が経つ晴子も放蕩息子・淳三と会ったのは2~3回。それで、嫁になり、外に作った子を娘として育てろとは…


本家の息子がとうとう奉公人を嫁にしたと外聞の悪い話に顔をしかめた兄弟たちだが、それ以上に淳三本人があまりに横暴だ。


当時、雇い主と奉公人はそれほど立場が違っていたのかと…


それでも、晴子はどこに行く宛もない自分の身の上をよく知っているから、この驚くべき状況でさえも1つ1つ受け入れていく。


戦地の過酷さが日に日に耳に届く段になって、福澤の家も、もう出征した男は帰ってこないものと半ば諦め、半ば覚悟を決めていたようだ。


そんな矢先に晴子は淳三の兄と関係を持つ。これだって、雇い主と奉公人の関係を出るものでは無い。かねてから、目をつけていた女と夜を共にしただけだ。


こういう感覚が全く分からないし、この行を息子に書き綴る母親の神経も分からない。大切な事として、伝えるべきだと思ったか。今後、福澤の名を背負って生きていくために息子には自分の出自を知らせておくべきと思ったか。


確かに本家とは距離を置き、大家(おおやけ)の責任とは無縁の人生を送った三男・淳三には血の繋がらぬ息子を守る術は無かろうし、となれば、彰之自身が福澤の新しい当主の外腹だと自覚することで、己を守ることが出来るかもしれない。


この晴子さん、放蕩息子の妻としての自分より、父の後を継いで代議士となった福澤家の長男の子を生んだ女としての自分の存在価値の大きさに気づいていたのだろうか。


それこそが旧習深い地域で彼女に自由を与える唯一の免罪符のような…こうした因縁が布石となっていくのかしら?


第2段の「新リア王」で語られていくのか?


「晴子情歌」も文庫化には相当の月日が費やされている。高村薫さんの作品だから、当然と言えば当然。


こんなヘビーな読み物で、しかも作者は文庫化にあたり、大幅な改訂をされるのが当然の高村薫さんで、よくぞ文庫化してくれたものぞ、新潮社。


「新リア王」にはその時はまだまだ先だと思われるので、単行本で1度読んでみよう。


とにかく、旧い時代の大きな屋代を築いた地方の大家(おおやけ)に異質な空気を吹き込んだ晴子という女性の一代記だと言って良いのかしら?


ただ、自分の美しさをどうやって利用するか本能で知っていた女の強かな生き様だと思わないでもないけど…彼女の手紙の中には、語られぬ多くのことがありそうだ。


晴子さんの息子、彰之。この小説ではちょうど30歳の頃だ。これから、この母の手紙が彼の人生にどんな形で影響を及ぼしていくのか、ちょっと気になるね。


そうそう、この時期の彼の印象が、「マークスの山」で私たちの前に初めて登場した合田雄一郎に重なるのだが、いかがだろうか?