今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

リトル・ボーイ 小さなボクと戦争


試写にて鑑賞。秋葉原駅前のオフィスビルの一角。UDXシアターにて。初めて行ったシアター。とても綺麗で観やすい劇場でした。ただ、席数の割に劇場ブースにトイレが設置されていないのはいかがなものか。


トイレはフロアー共通のものを使わねばならず、170席あるというホールにしてはお粗末(汗)


さてさて、ホール云々より映画の内容だ。


とにかく体の小さい男の子ペッパー。町の子供たちからは「リトル・ボーイ」と意地悪く呼ばれている。ちっちゃくたって、山椒は小粒でもピリリと辛いんだぞ(ง •̀_•́)ง


時は第二次大戦の頃。8歳のペッパー少年は大海原を望む田舎町に両親と年の離れた兄と暮らす。発達障害を疑われるほど小柄な彼のまわりにはイジメるヤツはいるが、友達はいない。


彼の唯一の相棒は父親だ。


いつも父親の後についてまわり、互いに「相棒」と呼び合う。


戦火も激しくなり、若者が徴兵されるようになるが、兄は扁平足を理由に徴兵検査に落ちてしまう。その代わりとして、まだ十分に若い父が徴兵されることに。


しっかり者の母と徴兵検査に落ち、自暴自棄になっている兄との生活。ペッパーは何としても父を無事に連れ戻す方法は無いものかと考える。


以前、父と一緒に見たニュース映画に登場するマジシャンの舞台で助手を務めたペッパーは念を送ってビンを動かすというマジックに成功する。マジックだから当然タネがあるんだけど、とにかく父親を連れ戻したい彼は、自分にパワーがあると思い込んでしまう。


海を望む丘に立ち、うぉ〜って父が戦う方向に向かって必死でパワーを送り込む…


彼らの町には収容所から解放された日系人の男が住んでいた。アメリカに反抗する意思は無いと誓った人々は収容所から解放されていたのだ。


収容所から解放されたということは、彼は静かに暮らす権利を得たと言うことだが、町の人々は感情的にそれを飲み込むことが出来ない。


いつもいじめられているペッパーと同じように町の人々から冷たい目で見られる男、ハシモト。


父親が戦争に行ったのはハシモトのせいでもあるかのように、突っかかっていくペッパー。徴兵検査に落ち、父が代わりに戦地に送られた兄と2人、町外れのハシモトの家に向かう。そこで、投石をして誤って火をつけたことで兄は留置所に…


まだ小さくて、罪を見逃してもらったペッパーは母親に神父のところに連れていかれる。神父は正しいことをしたら、父が帰ってくると言って、課題が記されたメモを渡す。


いくつかの課題の最後に神父はハシモトに親切にするという項目を書き足す。


ここから、ペッパーとハシモトの交流が始まる。


感動の作品であることは間違いないし、ペッパー役の少年の可愛らしさは絶品。ハシモト役の俳優さんは渋くて優しい印象がとても良い。


ただ、ペッパーが町の人々を驚かせる「奇跡」を起こした朝。私は日本人なんだなとあらためて感じたのだ。


核廃絶が叫ばれて久しい現代にあって、未だに国民の半数が先の大戦で使用された原爆を戦争を終わらせるために有効だったと思っているという現実を見せつけられる。


田舎町の保守的な考えの人々の「リトル・ボーイ」に対する捉え方を観て、「あぁ、こういう思考なんだな」と。


前に見た予告編では、海辺でハシモトとペッパーが語り合うシーンがあった。自分の呼び名と同じ名前の爆弾が日本の多くの人々の命を奪ったことを知り、「ボクのせい?」 と悲しい目で尋ねるペッパーにハシモトは優しく「誰のせいでもない」と答える。ところが、このシーンは本編には無かった。


なぜ?一緒に鑑賞した相方にも確認したが、彼の記憶にも無かった。同じシーンはあったが、そのやり取りはカットされていた。翻訳の問題かと思ったけど、そのシーンでのセリフは全く関係の無いものだった。


あのシーンが無いと「リトル・ボーイ」というタイトルの持つ意味がぼやけてしまう気がするのだけど。アメリカ人の平均的な考え方だけが残されている。まぁ、アメリカの映画だから、仕方ないか(汗)


そこは残念だったなぁ。


でも、全体としてあの時代の現実の一端を知る貴重な作品だと思う。これも、戦争映画なんだろうな。