今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

メッセージ


待望のドゥニ・ヴィルヌーブ監督作。SFって聞いたけど。確かに宇宙人がやって来たけど。そこが物語の中心ではなかった。


宇宙人との遭遇により、主人公の人生が一変する奇跡の物語。時間軸の無い世界と時間の流れを1つずつ踏んでいく世界。通常はそれらが交錯することは無い。ところが、人類にとって3000年後という「時間」に、宇宙人にとってはその生存を脅かす出来事が起きることが分かり、武器の提供を条件に助力を求めることになり、地球に到達したため、有り得ない「交錯」の時が訪れた。


はぁ??(´・_・`)??って感じでしょ?


SF映画と簡単に片付けられない不思議な時間を見せられた。地球とは時間も空間も違う異星人。姿はアメリカ映画の宇宙人に典型的な「タコ」みたいな造形なんだけれども、不思議なコミュニケーション・ツールを駆使する人たち。


彼らの触覚のような「タコ」の足先が人間との境い目にあるガラスボード様の透明な壁に円を描く。その円の細かな形状で人類の話し言葉との共通項を見つけ出してコミュニケーションをとろうとするのは、軍から特命を受けた言語学者。


彼女たちのチームは、気の遠くなるような膨大な作業を1つずつ解析して異星人の到来の理由を探っていく。


しかし、遠くから来た異星人との微妙な言葉の使い方の違いで、様子見だった世界の国々の間に少しずつ亀裂が生じてくる。


こうした異星人との関わりの中で主人公の言語学者は時々見たこともない自分の姿がフラッシュバックするのを自覚する。果たして、さも経験したかのような自分の姿はいったい何を示しているのか。


異星人とのコミュニケーションを深める中で、彼女は気づく。


異星人は自分たちが発する「言葉」を真に理解する地球人を探していたのかも。地球人にとって、全ての人々がその理解に達するには3000年の時が優に必要だったのだろうか。それとも、時間軸の無い彼らの世界からするといつでも同じなのか。。。


哲学的というか、なんというか。「インターステラー」を観た時の不思議な感覚が蘇った。あれは、登場人物たちの体が実態として、そこにあったので、少し分かり易かったけど、今回はあくまでも主人公の思念の中の映像で未来を見るので、「なんじゃこりゃ?」と思っちゃったら、終わりかも。。。(;^_^A


映像で見せることが主で、多くの理屈(まぁ、理屈が通じる内容ではないか…)を並べて説明する運びではないので、誰にでもOKな映画ではないかもなぁというのが正直な感想だけど、私は好き✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。