今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ローマ法王になる日まで


予告編は良かったんだけど、蓋を開けたら、キリスト礼賛映画だったら、イヤだなぁと思って躊躇してたんだけど、レビューをいくつか見たらそんな印象は薄いみたいなので、劇場へ行ってみた。


現在のローマ法王がそこに至るまでの実話をベースにした映画。司祭とか神父とか言葉の持つ意味も職責の違いも分からないので、少し混乱したけど、それらに囚われることなく観られる。


人々を助けたいと神父の道を進む主人公。アルゼンチンの軍事独裁政権下で貧しく、日々精一杯生きている人々の生活に深く根ざしたイエズス会。主人公は、苦闘に喘ぐ人々に手を差し伸べることを良しとしながらも、深く関わっていく貧困地区の神父には警戒を呼びかける。


時には政府側の関係者と面談し、貧しい人々の立場に立って交渉し、時にはイエズス会の幹部に地域の教会の苦境を訴えていく。主人公は、神父というより、よろず相談引き受け係みたい。まぁ、それだけこの地域は教会が生活に密着してるってことなんだなぁ。


この将来法皇になる人が、神父になって最初に日本に布教に行きたいと希望していたというのは、やはり第二次大戦の原爆被害への思が根底にあるのかな。


最初の志が苦しむ人々に寄り添うということだからこそ、彼は軍事独裁政権下の厳しい取締りの中でも、目立たず細心の注意を払い、慎重に行動し、人々を支えながら生き抜いたんだろう。彼と思いを同じくする人々が数多く命を落としていく中で、それは大変な苦闘であったろうと想像がつく。


1人生き残ったからこそ、やるべき事をやりきる。その姿勢が貫かれた先に現在がある。イエズス会とか宗教的な側面より、法皇になるまでの人間ドラマとして心を打つ。


法皇就任時のスピーチがシャレている。教会の幹部というととかく閉鎖的な世界で君臨してるイメージだけど、この人は世俗に生きる人々の心に添った人物なのがよく分かる。