今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

判決 ふたつの希望





試写にて鑑賞。久しぶりの渋谷KINEHOUSE。配給会社ロングライドさんの近日公開予定作品のシークレット試写会に参加しました。


会場入口には、ポスターが貼ってあり、現地に行くと、秘密でもなんでもない(笑)。何を観せていただけるか分からなくて、心配だったけど、ホラーじゃないことだけは確かなので、ホッとする💦💦


つい先日、急にこの映画がTwitterのタイムラインを賑わせるようになって、「あぁ、また注目作品の公開が迫ってるんだなぁ」と。春からの生活環境の変化と体調の変化で、なかなか長時間のお出かけが難しくなり、「観たい」映画を何本も見送り…(涙)


そんな時にたまたま参加できる試写会で、「観たい」映画を観られる幸せ!!


タイトルに「判決」とあるので、法廷劇というのは分かるけど、舞台が中東となれば、犯罪を巡る心理劇というよりは、民族的な問題に端を発するものかと予想して着席する。


若く美しい身重の女性。彼女の家の近くでは、大勢の作業員が出て、なにやら工事をしている。段々と分かってくることだが、そのエリアは違法建築の住宅が密集しているところで、また、住む人の出自も混在している。


そんな場所だから起きた小さな行き違い。行政から指示されて違法建築の建物の修復をする作業員の行為を良く思わない1人の男。階上のベランダに水を撒く。違法建築のベランダからは下で作業する人たちに水が落ちる。


現場監督の男が水を撒いた家に注意をしにいくが、聞く耳が無い。


互いに口汚く罵り合った後、家主の男は口にしてはいけない言葉を発し、自分の出自を侮辱された現場監督怒りを抑えられず、家主の男を殴ってしまう。


自分への仕打ちに怒りが収まらない家主の男は、有名な弁護士に依頼して、現場監督を訴える。「ただ、謝罪がほしい」と。


彼らの生活状況も分からず、彼らを取り巻く社会環境も分からない私には、どっちもどっちだと思うのだが、当事者の彼らには、どうしても赦せない思いが腹の底に居座っている。


映画が進むうちに、これは単なる言った言わないの言葉の行き違いのような薄っぺらい問題でなく、彼らがここに来るまでの歴史の上に積み上げられた感情に端を発するのだと気づく。


家主の男は、けして裕福ではないけれど、のどかで平和な、穏やかな子供時代を過ごした。その村にある日突然、武器を持った集団が入り込んでくる。


当時、あちこちで争いがあり、そうした戦争から身を守るために多くの難民が近隣の国々になだれ込んできた。彼らは住む場所を求め彷徨い、さらにそうした人々を追い虐げる勢力も起こる。


その犠牲になり、家主の男の育った村は壊滅し、隣人、友人は虐殺され、かろうじて生き延びた人もそれぞれ離散していった。


ずっと、そこに生き、そこで暮らした人々が追われる悲しさが彼の頑なさに繋がっていた。


現場監督の男は、若い頃、自分の国で、自分たちの生きる道を求めて戦っていた。けれど、戦況は悪化し、彼らは近隣の国へ難民として逃れていった。暮らしはけして安定せず、難民を理由に仕事も厳しい条件を受け入れなければならない。


互いに相容れない思いの上に生きる彼らが、たまたま出会ってしまった。日頃の思いをぶちまけた家主の男。それをきっかけに、自分たちの思いとは違う次元で国の世論を真っ二つにしながら、裁判は進む。


確かに法廷シーンは多いけど、チラシや予告編にあるような「法廷劇」という感じではないと思う。法廷劇というと必ず登場する手練手管の弁護士。家主の男の代理人になった有名弁護士は、確かに法廷での戦術がイヤらしく、タダで弁護を引き受けたという辺りになにか魂胆がありそうな雰囲気もあるけど、そこに重点が置かれてるわけでもない。


たまたま、法廷まで持ち込まれたけれど、映画で描いた諍いというか、行き違いは、彼らの世界では日常的に起きてるのではないだろうか。だから、その諍いが法廷に持ち込まれるほど大事になり、人々が注目する結果となったように思う。


昨今、よく耳にする難民の問題が1つ。これまで繰り返されてきた民族の問題が1つ。様々な彼らを取り巻く問題が、言ってはならない言葉によって、本人たちを差し置いて、問題だけがひとりでに大きくなっていった顛末。


ラストは裁判での結果に関係なく、家主の男と現場監督の男は、しっかりと互いの目と目を見て、別れる。


どんな問題もまずは話し合う席に着くことから解決への道が開かれるということを彼らの姿から強く感じるラストだった。


8月からTOHOシネマズシャンテでの上映だそうです。ぜひ。