今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ゲッベルスと私


岩波ホールにて鑑賞。実は、岩波ホールのエキプ・ド・シネマ会員向けの映画ミニ講座「ゲッベルスと私」に当選したので、講演前に急いで観に行ってきた。


まず、「ゲッベルス」であって、「ゲッペルス」ではないことを知る。ドイツ語読みだと濁音になるんだね。


そして、今回の主役は「ヒトラー 最期の12日間」の語り部であるヒトラーの秘書とは別人で、こちらは宣伝相だったゲッベルスの秘書。また、あちらはフィクションの物語映画であるけれど、こちらは、秘書の女性本人が監督のインタビューに答える形で進行していく。


ただし、語りたがらない秘書の女性に語ってもらうため、インタビューされる側の希望として、監督の言葉を映像に乗せないという条件の元で作品が形になった。映像には彼女だけが登場し、彼女だけが語る。話題の転換部分には、監督がチョイスした資料映像が挟まれる。これは女性の側が監督の要望を受け入れた形。


なんだか、いろいろ条件もあって、制約がある中での撮影。しかも、女性は撮影当時103歳という高齢で、公開(本国ドイツで)翌年の2017年に亡くなった。


彼女の発言は当のドイツ国内では相当な批判に晒されたらしい。確かにそうだろうなと思った。103歳という高齢ながら、発言がしっかりとしていて、記憶が鮮明だ。彼女は、1942〜45年にナチスの中心的人物であるゲッベルスの元で秘書をしていた。ところが、彼女の鮮明な記憶の中にユダヤ人虐殺は存在しない。そうしたナチスの行為について全く知らないと明言している。


本当なのだろうか。書けと言われた文書をただタイプしただけと言う彼女の発言はどこまで信じられるのか。


秘書になる前、既にドイツ国内ではユダヤ人が厳しい状況に置かれていたはずだ。それは知っていたのだろうが、その行き着く先までは知らなかったということか。


普通の女性がたまたま出会った人の縁で、当時の政治的な中心人物の秘書に雇われる。彼女の給料は当時としては破格だ。特に裕福な家庭で育ったワケではない女性が、第一次大戦後のインフレを経験し、お金に惹かれていったのは仕方のないことなのかもしれない。


そこで、見聞きしたこと全てを語ったワケではないだろうし、語れないこともあったに違いないが、彼女は総括として自分は悪くないと言い切る。自分に罪があるとすれば、それは全てのドイツ国民に総じて課せられたものだと。


ユダヤ人虐殺という非道を推し進める政権とあの時代を後押ししてしまった罪。


そんな風に捉えてるのかと驚かされた。確かに個人の力で時代の流れに抗うことは難しい。でも、彼女の証言を聞いた人々は、その言葉の一端にでも、あの時代に政治的中心人物の元で働いていたことに対して、某かの後悔や懺悔の言葉を望んだはずだ。


彼女は戦後5年間、かつてナチスユダヤ人を殺した強制収容所ソ連から拘束される。それについての発言もユダヤ人が押し込められ、毒ガスが送られたシャワー室で温かいシャワーを浴びることが楽しみだったと言う。


拘束を解かれた後、ユダヤ人虐殺を知ったのだと。自分は若く、何事も深く考えず、時代の流れに任せて生きた。そういう時代だったと。


淡々と語る彼女の表情は正直良く分からない。というのも103歳という年齢が顔に深い皺を刻んでいるから。アップだから、余計に印象深いのだと思うが、恐ろしい時代を生き抜いたアクのようなものが刻まれてるように感じてしまった。


歴史の証言として残す意味もあったのだろうが、彼女の言葉を受け入れられない人は多いだろう。


8月最初の週末までの上映のようです。是非、観ておくとよいと思います。


なお、劇場ロビーには映画の紹介と共に映画に資料映像として差し込まれた映像は当時のままの映像で、一部にショッキングなものもあるとの注意が掲示されている。