今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

新源氏物語


しばらくブログを更新できなかったのは、なにより本作を読むのに手間取ったから。


再来年の大河ドラマ吉高由里子主演「光る君へ」だと発表になり、吉高由里子が演じるのは、「源氏物語」の著者である紫式部。おそらく、劇中劇として「源氏物語」が描かれることだろうと。1度ちゃんと読んでおこうかと。


まぁ、なぜそう思ったかと言えば、「光る君へ」のプロデューサーが朝ドラ「スカーレット」のプロデューサーであること、紫式部の一生を描くにあたり、彼女より数歳年長の幼なじみである藤原道長を相手役として登場させる予定であることなどを知り、勝手に推量し、道長松下洸平くんではないかと…


でも、よくよく考えると昨年の冬ドラマ「最愛」に未だに映像関係の受賞が続いており、吉高由里子松下洸平のキャスティングはむしろよろしくないかと。2人のイメージが固まっちゃうから…そう思って月日を過ごしていたところ、つい先日その道長役に柄本佑をキャスティングしたと発表があった。悲しいくらいに全然話題にならなくて…


正直、柄本佑くんはちょっと地味だ。せめて、高橋一生中村倫也あたりがくるかと思ってたけど、リスク回避的な印象が否めない。今回は小栗旬で来年は松潤の大河。吉高由里子は確かに人気はあるだろうけど、平安時代のおじゃる世界は元々それほど人気はないだろう。どうせなら松下洸平くんには「光る君へ」には一切かかわらず、その次あたりでメインのキャスティングをお願いしたいくらい。それがいい!


そんなこんなで一気に読む気も失せた本作。なかなか読む気になれなかったのは、他にも理由があるのだが…


「新源氏物語(一)〜(三)」田辺聖子 著()新潮文庫


以下、感想。。。





















大河ドラマへの注目から、学生時代に教科書で読んだことしかなかった本作にチャレンジ。原書はとても読む気にはなれず、まず形から入る私は、与謝野晶子版と田辺聖子版を入手。全5巻の与謝野晶子版はひとまず置いといて、ちょうど田辺聖子さんをモデルに描いた大好きな朝ドラ「芋たこなんきん」が放映中だったこともあり、全3巻の田辺聖子版を読み始めた。


読み始めて、まず思ったことは与謝野晶子版にしなくて良かったということ。より原書に近い読み下しだという与謝野晶子版。きっと私には読み続けられなかっただろうと。田辺聖子先生の軽やかな口語訳だから、時間はかかったけどなんとか読み切ったのだと今ならよく分かる。


なぜか…


それは私には平安時代の男女のあり方が全く理解できなかったから。そして、恋に浮名を流す光源氏がとても受け入れがたい人物だったから。光源氏の強引な女性への対応はこの時代では普通なのかもしれない。また、そうやって良い血筋の男の渡りを受けることこそ、当時の貴族の女性たちの生きる術であり、存在の証だったのかもしれない。何度も何度も何度も「かもしれない」と考えて、納得しようとしたが、とても無理。


女を大切に扱っていると光源氏本人は思っており、作中にもそれを称える表記もあるが、私には吐き気しかおきない。


立ち居振る舞いが美しく、雅な歌を詠み、芸事に秀でていて、なにより美しい青年、光源氏…読んでいても、その光源氏の像が思い浮かばない。


その昔、特別ドラマで光源氏を若き東山紀之が演じたことがあった。東山源氏は、確かに美しかったが、とても作中の光源氏とは重ならない。


もう光源氏が気持ち悪くて、とても長くは読めなかった。少しずつ、少しずつ読み進めるしか…


読み切った自分を褒めたい。本当に心から褒めたい。


与謝野晶子版はこのまま読まずに本棚の奥にしまっておこう。


源氏物語」が小説として評価されるのはなぜ?古いから?それ以外、私には良いと思えるところはほぼなかった。


こんな状態ながら、不思議と涙が出たのは、最後の最後、紫の上が死を覚悟して日々を暮らすところ。紫の上がどんな一生を送ったのか、源氏に見初められたためにどれほどの屈辱を味わったのか、そして、それらを乗り越え、なりよりも人の心に寄り添える人間的な奥深さや美しさが備わり、その美徳をけしてひけらかすことなく、慎ましく、でも凛としたその姿、思いに涙が止まらなかった。


作中にことさら紫の上のことが書き込まれてはいなかったが、そうした文字にならない紫の上の越し方が偲ばれてならない。紫の上の儚い立場と誰にもました器量(じんぶつとしての…)の持ち主であったこと。それは光源氏が磨き育てたというより、紫の上本人の努力と忍耐との賜物だろう。男社会の中で堪え忍びながらも、男を立てる生き方。女であることの不遇をどれほど嘆いたことか…


紫の上を亡くした悲しみに崩折れる光源氏も描かれたが、自業自得としか思えなかった。吐き気との闘いの結果、最後の光源氏の姿にやっと溜飲を下げることができた。


これが名作として教科書の載ってたのはどういうことなんだろう。