今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

梅里雪山〜十七人の友を探して


私が「梅里雪山」の存在を知ったのは、小栗旬君のおかげ!!


2008年日本テレビで同名タイトルのドキュメンタリー番組が放送されることになり、小栗君がそのナレーションを務めた。


当時は内容よりも小栗君の鼻声のほうが気になる有り様で、本書の著者、小林さんに大変申し訳ないことをしたのです。


でも、テレビで見た「梅里雪山」の姿は本当に美しかった…それだけは覚えてる。


だから、一番近くの大型書店に栗城史多君の本を探しに行き、高く積まれた栗城君の本の横にひっそりと並べられた文庫の表紙を見た時、迷わず私の手は栗城君の本の横に並んだ文庫に伸びた…


当時、山と渓谷社が「ヤマケイ文庫」を創刊し、この作品はその最初の作品の1冊だった。


「梅里雪山〜十七人の友を探して」小林尚礼(山と渓谷社・ヤマケイ文庫)


以下、感想…


















著者の小林さんは十七人の隊員が遭難した第二次「梅里雪山」登山隊には関わっていない。


日本と中国の合同登山隊となった第二次本隊の中心的存在は「京大学士山岳会」で、京大の山岳部に所属していた小林さんにとって、遭難した隊員達は先輩や友人達だった。


遭難の状況を確かめながら、第三次登山隊が組まれ、小林さんは自ら求めて参加する。


ところが、最終アタックの段階で、登頂を断念することになった。


最終アタックのメンバーに選ばれていた小林さんにとって、「断念」決定はどれだけ悔しかったことか…


すぐ目の前にあるその場所へ、このチャンスを逃したら、もう2度と叶わないかもしれない…その選択。


しかし、こうした心残りが、その後20年近くにわたり、十七人の遺体、遺品の回収作業を続ける原動力になったのではないか…


遭難した第二次登山隊の時も第三次となる小林さん達の時も、地元に住む人達は彼らの登山に抗議し、妨害をした。


麓で暮らす民にとって「梅里雪山」は聖なる山、人間が踏み荒らしてはいけない場所なのだ。


そして、1度聖域をおかされたら、「梅里雪山」は人間達に罰をくだす。


十七人の遭難も「梅里雪山」の恩恵に浴して暮らす麓の民にとっては当然のこととして受け止められているのだ。


遺体回収作業の手伝いをするため、麓の村を訪ねるうちに小林さんは自ら写真家としての道を歩み始める。


そして、遺体回収作業の回を重ねる中で、村の村長であるチャシ氏と信頼関係を築き、さらに「梅里雪山」の周囲を巡る巡礼の旅に出る。


こうした旅の中で、いつしか小林さんにとっての「梅里雪山」は登りたい山から登ってはいけない聖なる山「カワカブ」に変化していく…


十七人の遺体が閉じ込められた氷河は温暖化と町の進化の中で流れを一層速くし、本書が発刊された段階で十六人までが発見されるに至った。


組織としての登山隊の遺体回収の活動は一応の区切りをつけたようだが、最後の1人に出会えるまで、小林さん個人の活動は続くのだろう。


山を巡る地元の人々の気持ちを害しての登山活動はけして、許されないのだ…


標高だけで言えば、「カワカブ」より高い山はたくさんある。


しかし、小林さんの経験された旅の様子から知る聖なる山の姿とそこに暮らす人々の生き様がさらに山に大きさを与えているような気がする。


良い本に出会えた…