やっと、読み終わりました(^-^;最近は全くと言っていいほど、本を開く気力が無く、その中で、やっとのことで読み切った小説…いえ、冒険紀行文(!?)です!!
「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」角幡唯介著(集英社文庫)
以下、感想…
新聞の書籍広告で目にした「空白の五マイル」の文字。
タイトルがやたらとカッコいい(^-^;ちょうど百田尚樹著「永遠の0」を読んでいた頃で、タイトルがカッコいいとついつい目がいってしまう状態で…(^-^;)
しかし、簡単な紹介記事を見たら、どうも小説ではなくて、著者が実際に未踏の地を訪れた記録であると知る。
とにかく、登山とか冒険とかいう言葉に弱い私は、早速図書館に予約…ところが、本が確保された時に限って、他の本に夢中になってたり、忙しくて読書どころではなかったり…
結局、時間ばかりが過ぎて、文庫が発刊されてしまった(^-^;
文庫なら、手元に置いても惜しくないと思って、購入。
いざ、読み始めると…
角幡氏の文章力に驚かされる。さすが、新聞社にお勤めしただけのことはある。
冒険家や登山家が後世に伝えるべき大偉業を成し遂げても、取材し、聞き取った人物がそれを世間に公表するパターンがほとんどだ。
なぜなら、彼らは後に伝えるために行動してるワケではないからだ。
美しい景色や素晴らしい映画を見た後、見てきたことを見てきたままに伝えられたら、どんなに素晴らしいかと私だって思う。
ましてや、人跡未踏の地に足を踏み入れた人の目にした物を見ること、感じることが出来たら…
エベレスト登山をインターネットを駆使して生中継する栗城史多君の発想の原点もそこじゃないかな…
果たして、著者である角幡氏にそんな思いがあったかどうかは不明だけれど、読み進むうちに、私も角幡氏と共に這いつくばって茂みの中を進んでいるかのような錯覚に陥っていた。
既に人里離れた奥地であるツアンポー峡谷のさらに奥地で、切り立った断崖の向こう側に洞窟を発見した時、角幡氏のすぐ横に立ち、ガッツポーズをしてる私が容易に想像できた(^_^;
現在では、許可無く外国人を受け入れない土地になってしまったツアンポー峡谷周辺。もう一度角幡氏があの場所に立つことは無いかもしれない。
しかし、こうして残した記録を後世の「誰か」が引き継いで、更に冒険を継続するんだろう。
そこで暮らす人々には迷惑な話かもしれないが、長年未踏の地の入口にある村で暮らしてきた人々にも確実に文明の波は押し寄せていくのだし、どこかで、きっとその歴史の重みに気づくことだろう。
自分では、体力もなく、根性もないので、考えられないことだが、2人の息子のうち、1人で良いから、登山家か冒険家になってくれれば…と考えていた時期があった。
将来の夢は「インディー・ジョーンズ」って言って、人から呆れられたことも度々。
大きく成長した息子達には登山や冒険は全く縁遠い物になっていて、私の夢も潰えたけれど、こうして、自らの冒険行を伝えてくれる人がいる。
それだけで幸せだ(^_^)v
未踏なのは、何も高さによって人々を受け入れない高峰の山だけではない。空白の五マイルの地は、確かに高地ではあるけれど、複雑な地形と鬱蒼とした森、そして、人々の侵入を阻む強い川の流れ…
厳しい自然、手つかずの自然の中で形作られたものが、人の手を拒む。
こうした冒険行は、本人が「行った」と言えば、簡単に行った事として、認められるワケでは無いだろう。何かしらの記録と残置物によって、判断されるはずだから、単独行は本当に命を削りながらの行軍になる。
敢えて、自分を追い込んで、そうした道に踏み出していく人々がたくさんいる。そんな心の動きに興味がある。
角幡氏は本作の中で、過去の冒険行で名を馳せた人やその記録について考察している。
自分の行軍だけでなく、その歴史にも触れているので、初めて「ツアンポー峡谷」の名を聞いた私にも、その土地がいかに人々の心を駆り立てる未踏の地であったかを教えてくれる。
「凍」を読んで、それまで名前しか知らなかった登山家の山野井夫妻を知り、ずっしりと心に夫妻の姿が刻まれた思いだったけど…
角幡氏についても、同様の思いが…
私、こういう小説は好きなのかも(^_-)