今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。


年末の新聞記事で12月に発売されると知った「首」。タイトルだけ見ると何の事やら分からないけど、信長の時代の北野版歴史小説だというので、早速読んでみた。


「首」北野武 著(角川書店)


以下、感想。。。













結局、戦国の世は騙し騙され、1度綻びが出るともう立ち行かない。みんな一国一城の主なんだから、そのまんまなら互いに牽制し合いながらも共同体として上手く運んでいくのに、結局誰かが天下を取ろうとするから、戦になる。人の世の常なのか…


タヌキとキツネの騙し合い。。。


元々は甲賀忍者の端くれで、いろんな主君に仕えては影の働きをしてきた主人公、曽呂利新左衛門。戦場で生き抜いて来たクセに戦に関わる人の化かし合いに嫌気が差して、遊芸人として、人を笑わせる噺家として生きている。


ただ、戦国の世は片時も戦の無い時は無い。曽呂利もそんな化かし合いの中で生きていく他はない。


曽呂利が見た信長にまつわる人々の化かし合いを本能寺の変を中心に描いていく。


当時は首さえ取れば、主君の恩賞に与り、農民であろうと戦場で出世の足がかりを掴むことができた。曽呂利が行動を共にした茂助はまさに戦国の農民の出世のお手本のような生き方だ。


家族を捨て、戦に向かう武将の供に加わり、首を求めて突撃していく。敵だろうと味方だろうと構いはしない。戦場の死骸は顔などもう判別の仕様がないのだ。そうして、自分の居場所を固めていく。何の足がかりも無い人間はそうして生き抜いていく他は無い時代。


最後の最後まで首を上げることで武士であろうとした茂助は無惨に討ち取られ、数ある首の1つとなって秀吉の前に届く。主君への謀反を働いた逆賊の輩として追われた明智光秀の首とされる物が山となっている。その中の1つが茂助だ。


自分が用意周到に罠を仕掛けた本能寺の変の結果を最後まで見届けるのが武士たる者の務めであろうが、秀吉は結局、最後の最後で農民を脱し得なかったことが知れる。


こんな男のために命をかけた茂助の不遇を思う曽呂利。戦の無意味さを心底味わって戦場を後にする。


今年の大河ドラマ麒麟が来る」で明智光秀を描くことになっており、タイムリーと言えばタイムリーだが、それよりもお笑い芸人の北野武として噺家の元祖のような「曽呂利新左衛門」を書いたと見るべきか。


噺家は人との交渉を要する場で戦力に成り得たということ。


元々、秀吉や家康は好きではない、いやむしろ嫌いな戦国武将なので、その関連の人たちもほとんど知らない。過去に見た大河ドラマの登場人物を少し知る程度なので、曽呂利新左衛門と言う名を初めて知った。少し、事前に知っておいたらもう少し楽しめたかもしれない。