今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

あの日……1月17日


あの日。。。まだ、我が家は雪国への転勤前で東京に暮らしていた。


先に起きた相方から大声で呼ばれて目を覚ました。「地震だ!」という相方の声に飛び起きたのを覚えている。


でも、ちょっと揺れたくらいの感覚だった私はそれほど大事とは思わず、少し早く目を覚ましたので、早めの朝食にしようと寝床を出た。


そして、食事の用意ができ、お膳についてテレビを点けた。しばらく、何が映し出されいるのか理解できなかった。長い灰色の板状のコンクリート製と思われる物が倒れていた……それは、その後何度となく映し出されることになる高速道路の倒壊現場の映像だった。


これはいったい何なのだろう…ただ、ただ呆然として、食事の手も進まなくなった。


相方が出勤し、長男を幼稚園に送り出した後、未だ信じられない思いの私はテレビを点けた。そこには確かにあの高速道路が映し出されていた。


高速道路が倒壊する。そんなことが現実に起こるなら、人々の暮らす町はどうなるのか…


被害の甚大さに情報は錯綜し、テレビ放送もただ映像を映し出しているだけの時間が続く。そんな中で早々と「死亡1名」の報道が…救助も何も、全てが手つかずの混乱の中で、テレビ画面に映し出されたその文字だけが目に焼き付いた。


その後、被害の状況把握と共に死亡した人の人数や怪我人の運ばれた病院名が発表されることになるが、かなりの間、「死亡1名」は変わることがなかった。


そうした中、その1名がテレビ台の横に寝ていた赤ちゃんだったと報道された。大きな揺れでテレビが落下し、下敷きになったという。。。


赤ちゃんは静かにすればよく眠るかと言えば、そうではない。我が家の次男は当時6ヶ月。亡くなった赤ちゃんと同じくらいだった。我が子は人の声がするところの方がよく寝付いた。相方も長男もでかけてしまう日中はテレビの側でそこから聞こえる人の声を聞きながら眠りにつくことが多かった。


ところが違えば、亡くなった赤ちゃんは我が子だったかもしれない…そう思った時、体の奥底からゾワゾワと震えが止まらなくなった。


次男の誕生前、私は切迫早産で予定日より2ヶ月早く入院した。それでも、私の体が保たず、結局1ヶ月早く生まれてきた。しかも、その時期の平均体重を下回っており、無事に生まれたことがまるで奇跡でも起きたかのごとく感じられ、全ての物に感謝する思いだった。


そうやって生まれた子供が、今、目の前にいる子供が死んでしまったら……神戸の赤ちゃんの親御さんはどれほど悲しかったことだろう。どれほど辛かったことだろう。生きる気力さえ失うほどの、身を切る辛さを誰よりも感じたに違いない。


あの日から、次男をテレビ台の前で寝かせることは止めた。2Kの狭いアパートの中でなんとか物の倒れてこない場所をつくり、歌ったり、お話を読んだりしながら、私の声を聞かせて寝付かせることにした。


毎年やって来る1月17日…その度に神戸の赤ちゃんの親御さんの無念に思いを馳せ、我が次男の無事成長に感謝してきた。生意気で、何度となく学校で揉め事を起こし、いつもハラハラとしながらその姿を見送ってきた。結婚した今だって、小さな子どもがいるのに離婚前提の別居中だ。私の悩みの殆どが彼のことかもしれない。それでも、この日が来ることで、またあの思いに立ち返ることが出来る。


今こうして生きていることに感謝し、数々の困難を克服して生き抜いてほしいと願っている。そして、どんな形であれ、「幸せだ」と思える瞬間を感じ取ってほしいと……