今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

Iの悲劇


どれだけ待ったのだろう。図書館で予約して、予約したことすらすっかり忘れて、自分でもびっくりだ(汗)


タイトルの「I」は話の内容から「アイ」で間違いないとは思うが、手書きと違い、指定された文字表記の中から選択せねばならず、なんとも不格好な「I」だ(涙)



「I(アイ)の悲劇」米澤穂信 著(文藝春秋)


以下、感想。。。

















面白かった。そして、時間さえあれば、1日で読めるし、その方がさらに面白さが増すと思う。


物語の舞台は、「蓑石(みのいし)」と言う名の限界集落。いや、すでに住民が誰1人いなくなった忘れられた集落。仙台にいる親戚も東京にいる親戚も簡単に来ることが出来ず、冬になると除雪しなければ住民の生死に関わる一大事になるほど雪が降る集落。


市町村合併の末、この集落の活性化が新知事の新規事業の目玉になった。都会から田舎暮らしに希望を抱く住民を募り、彼らに集落に点在する既に誰も住む人の無い家を貸し出すという事業だ。いわゆる、Iターンだ。


さすがに廃屋を貸し出すわけにはいかないので、人が住むに足る家を持ち主に了解を得て貸し出す。貸し出すのはあくまで持ち主であり、市役所は仲介、転入者への当面のケアが仕事になる。


このIターン促進プロジェクトは「甦り課」という親しみやすい名前を付けられ3人のメンバーで発進した。プロジェクトの親しみやすい名前が「甦り課」ってどうかしているとしか思えない(笑)。「甦り」はどう逆立ちしても「よみがえり」としか読めないが、そんな部署、配属されたその日に明日の無い課だと打ちのめされるだろうに…


そして、主人公は「甦り課」の仕事をしない昼行灯の課長と学生気分の抜けない新人女性職員の2人に振り回される真面目な30代目前の中堅職員、万願寺くん。


たった12世帯の転入にも関わらず、開村式の直前に2世帯、その後も様々なトラブルが発生し、3年経つ頃には最後の住民が集落を離れることになった。


限界集落での生活の難しさをいかに住む人、本人が覚悟しているか、また、限界集落を維持するための行政機能の限界をいかにコントロールするか。


テレ朝で人気の「ポツンと一軒家」を地で行く話だが、自分もそこで生まれ、成長し、親世代から引き継いだ限界点での生活とはまるきり違う。


万願寺くんは役所の職員として、3年の間に限界集落に暮らすことの意味を骨の髄まで学び取る。所詮、覚悟の無い都会人に田舎暮らしは無理だと決めつけず、真摯に対応していたと思うが…


開村式直前に集落を去った2世帯間のトラブルのくだり。課長に提出された報告書に万願寺くんが感知していない内容が記載されていた。報告書を書いたのは、新人の観山女史。報告書を読んで、2世帯のトラブルを解決した手際の良さはとても昼行灯とは思えない西野課長。


この小説は、タイトルからして、Iターンした人の悲劇の物語だと思ってたけど、違うかもと思い始めたのはここからだ。


でも、万願寺くんはなかなか気づかない。気づくチャンスはあったのに、西野課長や観山女史への先入観で目が曇っていたらしい。さらには次々起きるトラブルで彼自身振り回されてそれどころではなかったのだ。


なんとも、回りくどい行政対応のお話ではあるが、万願寺くんは大丈夫だろうか。彼を心配していた弟さんの言うとおりになってしまった。


本来は、たいした考えも無しに事を始めた行政の側こそ悪いのに、自分たちの側には悪者を作らず、自分たちの失敗を丸く収めようとする。それは1人の職員として将来ある善人を犠牲にして行われたことだ。敵を騙すには味方から…とは言うが、自分より年少で、仕事のフォローしてやっていた人間までが自分を騙す側だと知った時、どれほどの痛手を受けるだろう。


きっと、万願寺くんは市役所を辞めるだろう。そう思う。


そして、観山女史も市役所にはいられなくなるだろう。万願寺くんが退職すれば、様々な憶測が飛び、噂はあっという間に広がるだろう。そして、副市長の懐刀とわかれば、誰も彼女と仕事はしたくないし、近づこうともしないだろう。こんな女にはそれこそ、円空仏の祟りでもあれば良い。まさに彼女こそ、覚悟も無くIターンしてくる人間と大差ない。