今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

襲来


いつだったか、書店で平積みされている本書を見かけた。「へぇ〜、元寇日蓮側から描くとは…」と思ったけれど、発売間もない新刊はいくら文庫と言えどお高いので、一応頭にタイトルのみ記憶…


そして、またしばらく経って、バス到着までの時間潰しにたまたま立ち寄ったブックオフで上下巻揃って売っているところに出くわす。そしたら、買わないと…(汗)


「襲来(上・下)」帚木蓬生 著(講談社文庫)


以下、感想。。。





















帚木蓬生さんの著作をたくさん読んでるわけではなく、「日御子」を読んでちょっと驚いたというか、主人公たる「卑弥呼」より、その時代全てを主として描く作品に感動した。


だから、名前だけは覚えていて、やたら難しい字で一発変換できなかったことを記憶していた。ところが、今回はちゃんと一発変換できる。帚木蓬生さんの認知度の上昇ぶりにまた感動。


さて、本書は私が昔々大好きだった鎌倉時代のお話。主人公は北条家の人でなく、むしろ、時代を動かす北条家の人々の行いの是非を問う側の人物。


当時、次々と起こる天変地異に対して、政治の中心であった北条得宗家は自らの姻戚が初代となる鎌倉の寺々に帰依して、祈祷させる。そして、世間では、今は苦しくても死ねば極楽浄土にいけるという念仏が広く信仰されていた。生きてるうちに幸せになるのが1番だと思うけど、この時代の人たちの拠り所は違ったのね…こうした、混沌とした様々な信仰が間違いを生み、人々を不幸にしていると声高に叫ぶ青年僧が日蓮である。


この特異な青年僧は、それまでの信仰に対する蒙を啓く役割を担うが、北条得宗家にとって、さらに念仏系の僧侶にとっては邪魔者でしかない。


そこで、次々と命を狙った迫害をする。そんな中でも、彼の元を訪れ、信仰を始める者が後をたたない。


本作の主人公は、その青年僧に千葉の片海で出会い、一瞬で彼の人間性に引き込まれた漁師の青年、見助。大嵐にあい、両親は亡くなり、天涯孤独の赤ん坊は、片海の漁師が助け、育てた。老漁師が亡くなり、1人で生きていくことを余儀なくされた少年は日蓮が営む草庵で寝起きを共にし、生活の世話をするようになる。


見助は、青年僧の確信に満ちた辻説法や講話を直に聞き、火事や地震に度々襲われる鎌倉の人たちの苦境の原因は北条得宗家が、鎌倉開祖の頼朝が奉じた法華経を捨て、念仏に帰依したことにあるとする日蓮の見解を心底信じるようになる。


念仏僧に襲われ鎌倉の草庵を命からがら逃げ出した後、見助はその名の通り、日蓮の目となり、耳となって、日蓮の予言した外国から襲来の一切を見届けるため、身を寄せていた千葉・中山の富木家を後にする。


当時大陸から攻め込まれたならまず最初に被害を受けるであろう対馬に向かう。外国からの襲来に際して、遠く鎌倉にいた日蓮対馬壱岐の人々が酷い目に合うであろうと心を痛めていた。


その気持ちを受け、旅立った見助。漁師あがりの青年である彼は、ただひたすら歩いた。路銀は預かったが、贅沢は出来ない。富木氏に学んだ平仮名で自分の無事と蒙古の現状を手紙に書いた。それがどれほど鎌倉の日蓮に役立ったかは定かではない。だが、鎌倉から早馬が来ると日蓮から見助への手紙が必ず届いた。


そして、いよいよ蒙古が攻め寄せてくる。みな、見助はいつか帰る人間であると知っている。だから、彼が戦いに加わることはなく、現実を見続ける。悪逆非道な蒙古の振る舞いを目を逸らすことなく見届けた見助は、蒙古の撤退で、自分の役目が終わったことを実感し、対馬を離れる。


自分が対馬日蓮の耳目となって暮らしていた間に、力強い青年僧だった日蓮も年を重ね、体調を崩すことが多くなった。最後にひと目会って思いを伝えたいと必死にたどり着いた身延の新たな草庵。しかし、見助とて、同じように力を使い果たし、1人では起き上がれないほどの衰弱ぶり。


物語の最初の方で、見助のことを自分の影だと言った日蓮。まさに見助は、鎌倉で戦う日蓮の影として、現実の襲来を見届けたのだ。


結局、上巻の最初の方で、日蓮の草庵で側に仕えた時期以外は、終始見助の物語だった。日蓮の迫害については、手紙や手紙を届けてくれる人たちから聞くだけで、見助にとっては1度として目にすることは無かった。人生の中でほんの一時を日蓮と共にした見助は、その一時を心の糧として、ただひたすら信じ抜いて、生き抜いた。ある意味、物凄く幸せな人生だろう。


彼には自分の有り様を疑う心はないし、自分のことを気遣う人々への感謝を忘れたことがない。本当に純粋な、純粋すぎるくらいな彼に少し当惑してしまうが、これこそが信仰する人の姿なのだろうかと思ってみたり…


最後に、当時、対馬壱岐を治めていた大名は少弐氏。この少弐家は蒙古襲来に際して、矢面に立ち奮戦するも壱岐での戦いで若き当主少弐資時が死んだ。そう、この少弐資時の物語こそ、私が初めて読んだ元寇歴史小説だ。読んだ当時、まだ小学生だったと思うが、壱岐壱岐神社少弐資時が祀られていると聞いた記憶がある。1度行ってみたい場所が壱岐だったのを思い出した。