今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

炎環

年が明け、既に2ヶ月が過ぎた。東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県は年明け早々からの再びの緊急事態宣言で行動の自粛が呼びかけられた。でも、外を見ると意外に人の流れは多い。


映画館も営業時間の短縮はしつつも、全席販売と飲食解禁はそのままで営業している。観たい映画もいくつか公開はされているが、今の体制でとても安心して映画館に行くことはできない。自分が映画好きだったことも忘れそうなくらい足が遠のいた。


そこで、読書に目を向けることが多くなったが、いざ、本を手に取るとなかなか読み進められない。なぜか。落ち着いて読むことが出来ないからだ。家族の体調不良やテレワークなど、生活の変化に心が追いつかない(涙)。


せめて、上野動物園でも開園していれば、動物たちに癒やしてもらえそうなものだが、それも叶わない。コロナは人の生活の根本を変えてしまったんだな。


そんな中でも、永井路子さんによる鎌倉時代、北条執権家の短編小説と聞き、本書を手に取った。


「炎環」永井路子 著(文春文庫)


以下、感想。。。





















いつも肝心な時に、そこに居ない男…


北条四郎義時の描かれようは、時の権力を握った男に対する評価としてはちょっと寂しい(笑)。でも、それが1度や2度ならたまたまでも済むが、何事につけてもとなると、そこに何か力が働く裏があったのではないかと勘ぐりたくなるのは当然といえば当然か。


そうした義時のすぐ近くの人たちが主人公となる短編の最後に義時の物語が登場する。


短編小説は、上梓されるにあたり、その登場順もまた大きなポイントになる。時の権力者に近しい人物に焦点を当て、時代の中心に如何に関わってきたのかを語った後、その人物と時を重ねた新たな人物に視点を変えていく。それぞれが独立した短編ではなく、連作として描かれている。少しずつ、少しずつ義時への距離が近づき、最後に登場する。


小説それぞれも面白いが、その並びもまた面白い。作風も内容も全く違うが、湊かなえさんの連作短編小説を思い出す。


永井路子さんは、歴史的な資料も少ない鎌倉時代の人物を小説とすることが多いようにも思う。今後も読んでみたい作家さんだ。


知らぬ時代だからこそ、変えようのない歴史的事実を踏まえた上で、その作家の想像力と創作力と説得力で形作られる歴史小説。ハマるのも理解できる。


あと1年。大河ドラマで、肝心な時にそこに居ない義時がどのように描かれるのか、また小栗旬くんがどんな義時を見せてくれるのか楽しみが増えた。