今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

未来


湊かなえさんの本はいつ以来?図書館で予約して、読み始めたら、やっぱり「湊ワールド」で、なかなか本を開く気になれない(汗)


でも、不思議と読めちゃうんだよなぁ。。。


『未来』湊かなえ 著(双葉社)


以下、感想。。。


















タイトルが「未来」!湊かなえさんの著作には1番似合ってない気がする。「未来」って、希望に溢れ、キラキラと輝いてるイメージで語られる事が多いものね。。。


でも、読み始めてすぐに湊かなえさんの描く「未来」はちょっと希望を抱けるものではないんじゃないかと不安になってくる。


だから、図書館で借りた本だし、返却日も迫ってるのになかなか開くことが出来ない。ちょっと読んでは閉じる。そうして、半分ほど読み進んだ辺りからは半日で読み切った。


そして、ツラく哀しく、暗い時間のその先に確かに「未来」はあるのだと、その未来に向けて立ち上がろうとした少女たちに、確かに輝く未来が来るという希望の持てる結末だったことに胸をなで下ろす。


ホントに毎回、毎回よくもこんなに重苦しく救いようのないストーリーを紡げるものだと感心する。


でも、最近はテレビでドラマ化されたりして、注目されることで、ドラマ独自の結末が描かれていたりして、ちょっと違うんじゃないかと思ってた。


「Nのために」も「リバース」も重苦しさは原作の何倍も薄まっていた。この小説は子どもたちが主役だから、絶対に映像化はしてほしくない。映像を見せて想像させることで、十分に内容を伝えられる表現方法はあるはずなのに、最近の映画もドラマも、バッチリとその場面を映像化して見せてしまう。この小説には相応しくない。


読んでいて、感じたことは「告白」や「往復書簡」の印象に近いなぁと。ある事柄を語る連作で、それぞれに関連する人々が主人公となり、その主人公の視点で描かれていく。同じ場所で同じ思いを共有しながらも、同じ事柄であるはずなのに、見えているものが違っている。その連作。


「Nのために」もそうだった。湊かなえさんの作品の中で、私が好きなのはそう言ったタイプの小説だ。


これは私たちにも言えること。日常の出来事はその人にとって、どんな捉え方をされ、どんな考察をされるのか。


同じ経験をしながら、必ずしも同じ感想を抱くとは限らない。そんなことは人が生きていく時、当たり前のように起きている。でも、そこで一々立ち止まったりしない。誰かの正義が、他の誰かの正義にはならない。


だから、揉め事が起こるし、その先に人の派閥が出来上がったりする。それをあらためて、小説として読むと目から鱗のような感覚になるわけだ。


子どもたちに起きた出来事は、本当に哀しく辛いものだった。読むのさえ、嫌気がさすほど。でも、それを乗り越えるためのきっかけを作ってくれたのもまた辛い子供時代を生きてきた「大人」だった。


少女たちには、その手を差し伸べた人物が誰かは分からない。それでも、彼女たちが立ち上がるきっかけにはなった。こうして、とうの本人たちは誰のお陰か分からない出来事で救われることがある。


救った方も、絶対に自分で始末をつけると考えたわけではなく、ただ、自分の来し方を振り返り、自分の出来ることをしたまでだ。


こうした善意が少女たちを救ったのは間違いないが、物語の中では、それぞれに繋がりを持って描かれていない。まぁ、ここが湊かなえワールドなんだろうな。