今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

天才


なんでこの本を読む気になったのかと言えば、たまたま相方が田中角栄氏を特集した雑誌を読んでいたからで、まずは相方が読むために手に入れたのだ。


単行本として発売された直後は大変な話題で、図書館で予約したものの、忘れた頃にやっとこさ確保されたのを覚えている。せっかく順番が回ってきたのに、一人称での語りにあまり馴染みがないうえに政治の表には出てこない攻防の行がつまらなくて手が止まり、結局借り出し期間に読みきれないまま返却した。


再挑戦だ。


「天才」石原慎太郎 著(幻冬舎文庫)


以下、感想。。。





















本書(文庫本)を手に取り、ちょっとあ然とした。単行本の時は、読めども進まず読みきれなかったことから、分厚い本の印象を抱いていたが、文庫本になったこの作品はなんとコンパクトなことか(笑)。


これほど、薄い本でなぜ読みきれなかったのか。それは読み始めてすぐに分かった。面白くないからだ(笑)。著者の石原慎太郎さんには申し訳ないが、ホントに面白くない。


角栄さんが東京に出てくるまでは、苦労の連続で華やかなサクセスストーリー的な要素が微塵も感じられない。一歩一歩、足元を固めながら、独特の角栄視点で、切り拓いていく。そこに大いに金が絡み、それを上手くコントロールしながら成り上がっていく。とかく世間は金次第。。。私はこれで挫折したんだなと。。。


現場で、自ら体を動かし、頭を使い、金を動かし、成り上がっていく…子供の頃から、父親の放蕩で苦労した角栄さんの原風景は、畑で腰が曲がるまで働いていたお母様の姿。金など恵まれた環境にある者は自分で立ち上がれば良いが、そうではない人間はどうする。それが角栄さんの原点だろうし、そこにお母様の姿が重なるんだろう。


子供の頃、長く工作機械業界に身を置き、日本の経済成長を目の当たりにしながら働いてきた父親から「田中角栄が日本を作ったんだ」とか「角栄がいなかったら、今の日本は無かったんだ」とよく聞かされた。


さらに、田中角栄を評するうえで、誰にでも良い顔して、敵を作らない生き方は何も生まないし、そんな人間に物事を成し遂げることは出来ないと父親は言った。だから、ロッキード事件の時も角さんのどんぶり勘定に付け入ったヤツがいるんだなと、知るはずもないのに訳知り顔で言っていたのを思い出す。


石原慎太郎氏が描いた田中角栄は、子供の頃に聞いた父親の言葉通りの人だった。


ワタシ的な印象で申し訳ないが、本書はまさにロッキード事件の辺りから、田中角栄の一人称語りが俄然面白くなるのだ。


最初に単行本で本書を手にした時、もう少し粘って最後まで読めばよかったなぁ…


最後に…


なにしろ力溢れるバイタリティの人、田中角栄。それは政治だけでなく、女性にも…


正直、愛人とその子供の行は腹立たしかった。政治絡みの一人称語りだけで良かったのに。ここはつまらなかった。


角栄さん本人は多くを愛し、間違いなく両立できたつもりかもしれないが、愛人が最後まで息子たちを角栄の子として育て、その立場を明確にしたのは角栄さんの言う彼自身が上手くやっていた結果ではないと思う。愛人が愛人以上の立場を要求し続けた結果ではないのだろうか。


だって、関わりなく生きることは出来たはずだ。金銭的な援助は受けたとしても、それは子供をもうけてしまった当然の見返りとして、それ以上でもそれ以下でもない。関わりなく生きること、それが理性ある愛人だと思うし、それ以上は思い上がりにしか思えないけど…大人の都合で、人生が左右されるのは子供にとって気の毒ではあるが…まぁ、相手が田中角栄だったからなんだろうけど…


結果として、全てを奥様が飲み込んだだけだ。奥様は角栄さんとは違う思いで受け入れたはずだ。だから、それを見て育った田中真紀子さんは受け入れる事ができなかったのだと思う。私にはその気持ちの方がはるかに分かる。それを女性の感性のせいにするのは傲慢だ。愛人だって真紀子さんと同じように女性だ。それとも、子までなした愛人には角栄さんの言う女性の感性が無かったのか。


結局、角栄さんも人の子で、ごく身近な人への思いやりにかけた傲慢さに足元をすくわれたんだろうな…石原慎太郎氏のあとがきを読んでも感じたが、この時代の男たちは女性を一段どころか数段高いところから見下ろしている。


石原慎太郎氏の描いた田中角栄は、どれほど事実に近いのだろう。